ソシュールの学説について

 日本語の「ことば」という言葉には、さまざまな意味がある。「スイスでは四つの言葉が話されている」と言えば、「何語(なにご)と何語?」と聞き返されるであろう。この場合の「ことば」は、ドイツ語とかフランス語とかいう言語のことである。「言葉を持たない動物たち」というときの言葉は、言語を話す能力自体のことであり、何語かは問題ではない。「不用意な言葉が彼女を傷つけた」というときの言葉は発言ということである。「推敲という言葉の意味を説明せよ」というときの言葉は、個々の単語をさしている。英語ならもっと細かく言い分けられるが、言語と言語能力とを分けることは難しい。しかし、フランス語では、この二つがlangue(ラング)とlanguage(ランガージュ)という別々の語ではっきり言い分けることができる。

 19世紀のスイスにフェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)という言語学者がいた。フランス語地区のジュネーブの出身であり、母語の利点を生かして言語と言語能力を峻別し、言語学は「ラング」の学問であるべきだという主張を行った。さらに、ソシュールは発言を「パロール(parole)」とよび、単語(mot)をも「シーニュ(signe)」、つまり記号と呼び替えて新たな定義を行った。

 19世紀は比較言語学が全盛を迎えた世紀である。学者たちは言語間の親族関係を立証することに没頭し、単語はそれぞれの言語から切り離されて他の言語の単語とさかんに比較されていた。個々の単語がどのように変化してきたか、ということが研究の中心であった。いわば、定点観測で時間の流れを見たのである。ソシュールはこのようなとらえ方を「通時態」とよび、それよりも時の流れを一点で断ち切り、断面を広く見渡すことが大事だと唱え、それを「共時態」と呼んだ。簡単に言えば、一つの言語の中で、個々の語がほかの語とどのような関係にあるかを見極めることで、その言語全体の体系を見極めようとしたのである。

 考えてみれば、ヨーロッパにおける言語研究は、「文法」の名で共時的に行われるのが伝統であり、通時的研究が盛んな19世紀のような状態はむしろ例外的だった。しかし、「文法」の研究は「正しさ」とか「美しさ」を求めるという規範的な色彩が強かった。ソシュールはこの点を改め、「文法」を換骨奪胎したあらたな共時言語学をめざしたのである。その成果は「一般言語学講義」という本にまとめられているのだが、実はこの本はソシュールの著書ではなく、彼の二人の弟子が、講義ノートをもとに彼の考えをその死後に復元したものである。そのため、ソシュール本人は、それが自分の考え方に一致するものであるかどうかを確かめることができなかった。

 ソシュールによれば、語は他の語との間に、2種類の関係を持つ。一つは「連辞関係」というものである。語は単独で価値を持つものではなく、他の語と組み合わされるkとによって初めて価値を生じる。たとえば、日本語の「はな」という言葉は、単独では「花」なのか「鼻」なのか分からない。しかし、「はなが」となったとき、「が」が「な」より低い音でつけば「花が」であり、同じ高さでつけば「鼻が」であることがわかる。「雲」と「蜘蛛」の場合は「が」がついても区別がつかないが、「くもが流れる」と言ったなら、誰もが「雲」のことだと思う。もう一つの関係は「連想関係」というものである。「推敲」という言葉は、中国の詩人賈島が「僧○月下門」という句の○の部分に「推(おす)」を入れるか「敲(たたく)」を入れるかでさんざん悩んだことに由来するが、「敲」を選んだ結果、「推」は排除されることとなった。そのため、「連想関係」は、「連辞関係」のように、目に見えるものとしては現れてこない。「赤ちゃんを毛布で…」といったのなら、あとに続くのは「くるむ」であって「つつむ」(恐ろしい!)ではない。「おぼれている人を…」といったなら、ふさわしいのは「救助する」であり、「援助する」などと言ったら、脚を引っ張って沈む手伝いをしているような印象を受けてしまう。語の価値はこのように、他の語との目に見えないところでの選択によっても生じてくるものなのである。ドーリア式の柱は壁や天井と組み合わされることによっても、他の様式の柱との選択によっても価値を生じると、ソシュールは言っている。

 ソシュールは、語を「シーニュ(記号)」として再定義する。「シーニュ」は、意味するものとしての「シニフィアン(能記)」と意味されるものとしての「シニフィエ(所記)」とが一体となって結びついたものである。すると「シニフィアン」は音、「シニフィエ」は物と一般的には考えられがちだが、ソシュールの考えでは、シニフィアンとは、音声概念としての音韻の組み合わせである。日本語の「ん」にさまざまな音声が含まれていながら、音韻としては一つのものと考えられていることは前に記した。一方、「シニフィエ」も「物」そのものではない。たとえば、「害虫」などという虫は現実には存在せず、人間の頭の中にしか存在していない。「害虫」とは多くの虫の中から、人間がある基準でつくりあげた意味概念なのである。概念は言葉を離れても形成されうる。私たちはある人の顔を見て、「この手の顔は好きじゃない」などと言うことがある。多くの人の顔を見て何らかの概念が私たちの頭の中に形成されていることはたしかだが、これにはシニフィアンがないのだから、シニフィエということはできない。「夫」と「妻」とが互いの存在を前提にした概念であるのと同様、シニフィアンとシニフィエもどちらか単独で存在することはできない。

 シニフィアンとシニフィエの結びつきは「恣意的」なものであり、地球の唯一の衛星を「つき」とよぶ必然性は何もない。だからこそ、世界のさまざまな言語でさまざまな呼び方をしているのである。シニフィアンとシニフィエとの結びつきが恣意的であるからこそ、その結びつきはラングによってきっちりと決められており、個々人の考えでそれを自由に変更することはできない。「シーニュ」あっての「ラング」というより、「ラング」あっての「シーニュ」なのである。個々の言(発言、発話)もまた、ラングの定めるところに従わなければ、その役割を果たすことはできない。ラングに基づくパロールのないところでは、持って生まれたランガージュ(言語能力)も開花することはできない。ソシュールは、このように考えて、ラングの優位を確立し、言語学をラングの学としたのである。ラングは社会とは別個の独自の体系を持つものとされた。ラングがそのように自律的な体系であるならば、言語学は自然科学の一環としての道を踏み出すことができるし、現にソシュール以後の言語学者の多くが科学としての言語学を志した。

 しかし、ここで大きな疑問が生じる。ラングなるものは、いったいどこに存在しているのであろうか? 一人一人の頭の中にではない。語の意味一つとっても、それをどう理解しているかは人によってさまざまである。そう考えるなら、ラングは、それぞれの言語の、理想的な話し手の頭の中に存在しているとしかいうことはできない。理想的といっても、正しいとか美しいとかいう規範に照らして言っているのではなく、はえぬきの話し手というような意味なのだろうが、そのような話し手がどこにいるのかは、はなはだ心もとない。ソシュールの考えには、このようにすっきりしない点が多い。

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