日本語の母音は
なぜ「あいうえお」か?

 音は、共鳴する空間が広いほど低く、狭いほど高くなる。男性の声が女性より低いのは、突き出したのど仏の分だけ共鳴空間が広いからである。この原理をうまく用いた楽器にトロンボーンがある。人間が母音を区別する仕組みも、実はこれと同じである。

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 舌が前に出される「い」では、ただでさえ共鳴空間が狭い上に、唇を横に引くことでさらに狭められ、鋭いきいきい声となる。「お」では舌が奥に引っ込められている上に、唇が前に突き出され、共鳴空間が著しく広くなるため、低く太い「どす」のきいた声となる。「あ」では、舌がニュートラルな位置に置かれる代わりに口が上下に大きく開けられる。日本語の場合、「う」では唇をほとんど丸めないため、ここでは「お」を例にあげたが、舌の位置は「う」の方が奥にあり、唇を突き出すのなら、「う」の方が「お」より音は低くなる。「え」は「あ」と「い」の中間的な音である。しかし、日本語では「イ」というときにも、唇をあまり横に引かないし、「ウ」というときにも、唇をほとんど前に突き出さない。母音の数が五つしかないので、一つ一つの特徴を強調しなくてもよいからである。

 人間の口は、母音だけでも、「あいうえお」だけでなく、もっと多様な音を出せる。舌を前に出しながら唇を丸める音とか、舌を奥に引きながら唇を横に引くという母音を持つ言語も、ドイツ語やフランス語など数多い。朝鮮語にあるㅓという母音は、日本人には「オ」に近いあいまいな音に聞こえるが、赤ん坊が生まれて初めて出す音だと、ある在日朝鮮人から聞いたことがあるが、確かにそういえるところもある。唇を引くとか丸めるとか、舌を前後に移動させるとかしないくせのない音だからである。このような原理が分かっていれば、外国語の発音も行き当たりばったりではなく、理詰めで身につけることができる。

 日本語のように母音が5種類という言語はきわめて多い。ローマ字も母音字がa、e、i、o、uの5種類であるが、これはローマ字が最初に表記に用いられたラテン語が5母音の言語だったからである。ただ日本語の場合、万葉集に用いられた文字の研究から、奈良時代には8母音だったという説が有力である。5母音という体系は、一つ一つの音の違いが明瞭なため、安定性が高い。平安以降の日本語の音の変化は、世界的に見れば小さいといえる。これに対し、母音の種類の多い言語では母音の変動がはげしい。

 ローマ字は、フェニキア文字をもとに、ラテン語を表すために作られた文字である。フェニキア文字は、北アフリカのカルタゴを中心に勢力をもっていたフェニキア語を示すための文字であった。フェニキア語は、アラビア語などと同様、西アジアから北アフリカにかけて広く分布するセム語族に属する。この語族の言語の特徴は、子音の種類が多い代わりに、古くは母音の種類が少ないことであり、アラビア文語ではa,i,uの3種類しか無い。このため、文字として表記されるのは普通は子音だけである。ローマ字の5つの母音字も、フェニキア文字の子音字のうちラテン語には不要の文字を母音字に転用したものであった。しかし、今日のヨーロッパの諸言語では、母音字は5つでは足りない。この問題は、ドイツ語では ä のように加工を施した母音字(ウムラウト)を作ることで解決された。しかし、英語の場合、こういった加工をせぬままさまざまな表記法が並存し、しかもその後の母音の変動が激しかったために、英語のスペリングは、著しく複雑なものとなっている。

 アラビア文語のように、母音が「ア」「イ」「ウ」の3種類しかない言語も、世界には多い。しかし、やがて「アウ」が「オー」となり、「アイ」が「エー」となりやすいことから5母音体系に移行した言語も多い。インドの古典語であるサンスクリットもその一例である。しかし、逆に5母音体系から3母音体系へとさらに単純化された言語もある。沖縄語も、その一例である。

 沖縄語では、「エ」「オ」がそれぞれ「イ」「ウ」に合流する。「ふに」というのは「ほね」のこと、「にんぐる」は「ねんごろ」であって恋人のことを意味する。この母音の変化にともなって一部では子音の変化も起こっている。たとえば、「ケ」「レ」が「キ」「リ」となったため、もとからの「キ」「リ」は、「ちむ(肝)」「とぅい(鳥)のように「チ」「イ」となった。NHKの朝のドラマの題名となった「ちゅらさん」というのは「清らさある」ということで、「美しい」という形容詞である。これを「べっぴんさん」と誤解している人が多いが、美人のことは「ちゅらかーぎ(清ら影)」という。沖縄語では、「高い」を「たかさん」というように形容詞が一般に「さん」で終るが、これも「ちゅらさん」と同じ語源である。

 このように沖縄語は3母音体系なのだが、明治になって強引な「ヤマトゥグチ(本土語)」の普及が図られるまでには、再び「アイ」「アウ」という母音の連続から「エー」「オー」という長母音を生じていた。そのことは、沖縄の人たちが本土語を身につけることを容易にさせたが、今日ほどの本土語の普及は、他の地域を遥かにしのぐ地元の言葉への強い抑圧の結果でもある。これまでに見てきたように、沖縄語は、日本の他の地域の言葉とは違いが大きく、地元の人同士の会話は本土の人には外国語のように聞こえるが、先に挙げた例からも分かるように日本語とはっきり同系の言語である。沖縄は独立王国だった時代も長く、歴史も本土とはかなり異なる。私の小さいころ、大人たちの中には、沖縄では中国語が話されていると思い込んでいる人が多かったが、最近ではそこまで誤解している人は少なくなったようである。

 沖縄の地名や人名も独得である。多い苗字のベストテンは「比嘉、金城、大城、宮城、新垣、玉城、上原、島袋、平良、山城」の順で他県のベストテンとはまったく重ならない(ただし、ここに挙げた苗字がすべて沖縄独特というわけではない)。しかし、その読み方は、順に「ヒガ、キンジョウ、オオシロ、ミヤギ、アラカキ、タマキ、ウエハラ、シマブクロ、タイラ、ヤマシロ」と本土風に変えられている。本来の読み方は、順に「フィジャ、カナグスク、ウフグスク、ナーグスク、アラカチ、タマグスク、ウィーバル、シマブク、テーラ、ヤマグスク」だという。「城」の字は、さらに古くは「グシク」と読んだようである。個人名にしても、「朝苗(ちょうびょう)」、「普猷(ふゆう)」といった音読みの男性名、「マカトゥー」「グジー」といった独得の女性名も新しくつけられることはほとんどないようだ。          

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