「鼻濁音」とは何か?

 『日本語アクセント辞典』(1958初版)につけられた「ガ行鼻音」の分布図。

 「鼻濁音」とは、語の中にある「がぎぐげご」のことで、「まがる」「くぎ」などに見られ、IPA(国際音声字母 International Phonetic Alphabet)では[]で示される鼻にかかる音である。ここで、誤解をしている人が非常に多いのでことわっておきたいことは、語頭にある「がぎぐげご」まで[]で発音しなければならないというわけではないということである。語頭にある「がぎぐげご」は、昔から日本全国どこでも[]で発音されてきた。だから、たとえば、「がっこう」「ぎり」を「がっこう」「ぎり」と言う必要はないし、むしろ、言ってはならない。

 鼻濁音の存在が気づかれにくいのは、語頭にあるときは鼻にかからない「がぎぐげご」、語中にあるときは鼻にかかる「がきぐげご」(鼻濁音)という役割の分担(相補分布)がなされているからである。つまり、[]か[]かで語が区別されることはほとんどない。数少ない例として、「戦後」の「ご」が[]、「千五」の「ご」が[]であることが挙げられるが、これは「戦後」が一語、「千五」が二語と意識されているためである。したがって、語中の「がぎぐげご」を鼻濁音で発音しなくても、会話に不都合が生じることはほぼない。さらに、冒頭の地図で赤く表示された地域では、語中であっても[]が用いられることが一般的である。

 目を世界に転じると、[]音が語頭に立つ言語も珍しくはない。たとえばベトナムで最も多い姓である「阮(グエン)」は現代の「クォック・グー(国語=アルファベット表記)」では、Nguyenと書かれる。古い中国語にも語頭の[]音はあったが、現代の北京音では「五」「芸」がそれぞれ「ウー」「イー」と発音されるように脱落している。この脱落はかなり古い時期に起こったらしく、朝鮮漢字音でもそれぞれ「オ」「イェ」となっている。日本語の「ゴ」「ゲイ」という読み方は、古い発音の名残であるが、語頭では[]音に変っている。

 自分が鼻濁音を使っているかどうかを調べるのはさほど難しくない。「まがる」「くぎ」といった言葉を鼻をつまんで言ってみて、息がつまる感じがすれば鼻濁音を使っており、しなければ使っていないのである。放送業界では語中のガ行音を鼻濁音で発音する指導が行われてきたが、鼻濁音か否かを区別する習慣がない視聴者が多いため、アナウンサーの採用にあたっても、最近はるさく言われなくなってきているようである。しかし、聞いて違和感を覚える視聴者が少しでもいる限りはということで、鼻濁音の研修は続けられている。語中のガ行音が鼻濁音か否かで語が区別されることも多い東北地方などには違和感を覚える人が多い。

 1958年に初版の出た『明解日本語アクセント辞典』の付表を見ると、中国・四国・九州地方は、大半がもともと鼻濁音を言わない地域である。近畿以東でも鼻濁音のない地域は少なくない。そして、本来は鼻濁音地域であったはずの東京と大阪の周辺が、両者の混在地域とされている。これは、さまざまな地域から人が集まる大都会であるためであろう。大学時代、中国、四国、九州地方出身の友人から、小学校のとき、鼻濁音をうるさく叩き込まれたという話を何度か聞いた。横浜で育った私には、そのような体験がまったくないので驚いた。鼻濁音のある地域だから必要がないと思われていたためであろう。なお、この図には無いが、小島剛一氏から「群馬県・埼玉県などの諸方言で「ガ行鼻濁音」に対応するものが摩擦音の[γ]である地域がある」との御教示を頂いた。


 そもそも、音の美醜とは、聞く人によって異なるものである。「ん」の音を伸ばすのは聞きなれない欧米人には耳障りだろうと思い込んでいるのか、日本語で歌うときにも、たとえば「ゆーやけこやけーのあかとんぼ」の「あかとんぼ」を「あかとーおんぼ」のように歌うように指導されることがある。しかし、私にはこの歌い方はきわめて不自然に感じられ、「あかとんーぼ」のように歌いたいと思う。高校のときの音楽教師から、日本語の「う」の母音は「汚い」(欧米語の[u]のようには唇を丸めないため、欧米人には耳慣れないためだろう)ので、ドイツ語のÖのように歌うのだという話を聞いたこともあるが、やはり、素直な日本人の耳にはそれこそひどく耳障りである。よく何語はきれいで、何語はきたないという人がいるが、私は同感できない。どこの言語だろうと、きれいに話す人ときたなく話す人がいるということにすぎない。


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