犬のなき声と言語

 日本語では犬は「ワンワン」となくことになっている。しかし、犬のなき声は英語では「バウワウ」、フランス語では「ワフワフ」ということになっている。それでは犬の声に聞こえないと日本人は思うが、それはカタカナで書いて日本語で発音するせいで、それぞれの原音ではもっと犬の声らしく聞こえるはずである中国語では「ワンワン」だということを日本に留学中の中国人から聞いたことがあるが、それも、日本人の耳に「ワンワン」と聞こえるということであって、厳密には日本の「ワンワン」と同じ音ではない。

 昔、「恋の片道切符」という曲がヒットしたことがある。英語の原詩では蒸気機関車の音がchoo chooと表現されていた。「チューチュー」ではねずみのようだが、英語のchの音は唇を丸め、息を強く摩擦させて出すので、確かにSLの音に聞こえる。豚の鳴き声は朝鮮語では「クルクル」という。カタカナで書くとまるで似ていないが、KはHの音をともなう強い発音(激音)だし、「ル」は英語などのLに似てはいるが、舌先をそり返させて口蓋(口の天井)にピタッとつけてとめる音なので、むしろ「クックッ」というほうが元の感じに近い。英語のoink oinkよりは納得できるのではないだろうか? それにしても都会人は豚の声を聞く機会があまりないのだから、「ブーブー」だというのは、思いこみにすぎないのかも知れない。一度豚小屋に行って自分で確かめてみなければならない。英語のoink oinkなどは、日本語の「ブヒーッ」に近い感じを表しているのではないか。

 英語では、ねずみの鳴き声はsqueakと鋭い感じに聞き取っている。これには欧米人のねずみ嫌いの心理が反映しているように思う。チャップリンの映画に、女性がねずみを見ると卒倒する場面がよく出てきたが、ヨーロッパにおけるかつてのペストの大流行の恐怖が残っているのだろうか? このように、もとが同じ音であるはずの動物の鳴き声でも人間の言語となると、かなり違っていることがある。とはいえ、朝鮮語で「ヤオン」といったら、何の声だろう? もちろん、猫である。英語のmew mew(ミューミュー)も、子猫のような感じがするが、猫であることはすぐわかる。だから、このような擬声語(擬音語)は、言語の同系の証明には用いられない。

 ともかく犬は世界中で同じ声で鳴く。しかし、「ワンワン」という鳴き方を狼はしない。遠吠えをするだけである。犬は狼とまったく同じ種であり、両者の間で無限に子孫を残すことができる。ただ、人間とのつきあいが長い犬では、その姿は千差万別である。21世紀はバイオの世紀だというが、チワワのような人とセントバーナードのような人がいるなどということにならないことを祈る。ところで、犬が「ワンワン」と鳴くのは、すっかり人間の世界の存在となった犬がそれなりに人間の会話を真似ているのだという説を唱える動物学者もいるという。そういえば、最近、カラオケにあわせて歌を歌う犬の話が新聞に載った。

 それにしても、日本のように犬種のはやりすたりの激しい国はない。まるで商品のような扱いである。かつてもてはやされたシベリアン・ハスキーなどは、バブル犬の汚名を着せられて野良犬に身を堕とされ、今や処分場の常連だという。この時代に日本の犬たちは、いったい何を伝えたくて「ワンワン」と泣いているのであろうか? 

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