「えと(干支)」とは何か?

 桜が咲くころには忘れられてしまうが、年があけると今年の「えと」が何かということが話題になる。これに対して、昔は時間、空間を表すのに便利なものとして「えと」は今よりずっと日常的に用いられていた。「えと」の「干支」という漢字表記は、「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の「十干(じっかん)」と「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の「十二支」の総称であるが、いまふつうに「えと」というときは、十二支のことをいっている。「今年のえとは?」と聞かれれば、「たつ」と答えればいい。しかし、「えと」という読み方(訓読みであることはすぐ分かる)は、むしろ十干のほうをさす言葉であった。

 十干、十二支がはじまったのは、古く殷の時代にさかのぼる。当時は一月を三つの「旬」に分けるのが普通だった。それが今も残る上旬、中旬、下旬という言葉の起こりである。そして、いま一週間を「日月火水~」に分けるように、一旬を「甲乙丙丁~」と分けたのが十干の始まりである。これが戦国時代に始まった陰陽五行説によって二つずつセットで「木火土金水」の五行にあてはめられ、さらに、甲は木の陽、乙は木の陰というように陰陽に分けられた。この陰陽を日本では「え」と「おと」とで表現した。ふつう「え」は「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)」のように「兄」、「おと」は「弟」という字で示される。しかし、これは今のように、男のはらからだけをさすのではない。「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の妃を「弟橘媛(おとたちばなひめ)」と書いたように、「え」は「兄姉」を、「おと」は「弟妹」を一括してよぶ名称であった。そして「おと」が「と」と略されることで、「えと」という呼び方が定着した。甲は「きのえ」、乙は「きのと」というように順に呼ばれる。「庚」「辛」は「かねのえ」「かねのと」ではなく、「かのえ」「かのと」と呼ぶ。

 十干と十二支を組み合わせて年を示す方法は、昔は日本でもよく行われた「甲子、甲丑、甲寅~」という具合に組み合わせるなら、10×12で120通りの組み合わせがあるはずだが、「甲子、乙丑、丙寅~」という具合に、十干も十二支も一つずつずれていく方法なので、組み合わせ方は10と12の最小公倍数である60通りということになる。ふつう60歳を還暦というが、厳密には数え年の61歳である。61年目に生まれた年の干支にもどるから「還暦」というのである。明治維新にともなう戊辰戦争は1868年に起きた。その132(12の倍数)年後の今年(2000年)が辰年であるのは当然である。そして、12年前の辰年がちょうど戊辰だったのだから、今年は庚辰ということになる。また、戊辰の4年前が甲子であるから、甲子園球場ができたのが、今から76年前の1924(大正13)年であるのもうなずける。なお、丙午は「ひのえうま」と読む。この年に生まれた女性は夫を食い殺すという迷信のため、その年の出生率はきわめて低かった。その現象が戦後にも起こり、私もその学年を教えたことがある。今からみて最後のひのえうま生まれの人がいま何歳か、計算してみていただきたい。当時、今のように出生前に性別が分かっていたらもっといびつなことになっていただろう。

 干支を用いて年を示すのは、中国や朝鮮半島では日本より盛んに行われた。中国近代史に登場する「戊戌変法」「辛亥革命」とは何年のことだろうか? 豊臣秀吉による朝鮮侵略をむこうでは「壬辰倭乱」とよぶが、これは何年のことだろうか? だいたい何世紀のことかを知っていれば計算で出すのは難しくない。もっともこの方法で入試を乗り切るには時間がなさすぎる。

 十二支は、本来東洋占星術から生まれた概念であるが、それに動物名が当てはめられたのは、誰にでも分かりやすくするためだったらしい。漢字文化圏ではだいたい同じ動物が割り当てられているが、ベトナムでは丑が水牛、卯が(寅ではなく)猫、亥が豚という具合に細部の解釈は異なる。日本の沖縄以南、中国の南部や中部、東南アジア、インド亜大陸など、水牛が普通に飼われている地域は広い。

 十二支を方角に当てはめると北が子となり、時計回りに30°ずつでつぎのえとと交替する。東は卯、南は午、西は酉ということになる。地球の南北を結ぶ線を子午線というのはここに由来する。日本の標準時は兵庫県の明石市の時刻であり、明石市は「子午線の町」と自称しているが、考えてみれば両極を結ぶ線は無数に引けるのだから、子午線の通っていないところなど地球上のどこにもない。東北、東南、西南、西北は二つのえとの境目にあたるため、それぞれ「うしとら」「たつみ」「ひつじさる」「いぬい」と呼ばれる。中国ではこれをそれぞれ「艮」「巽」「坤」「乾」という漢字一字で示した。「巽(たつみ)」「乾(いぬい)」という苗字をよく見かけるが、その読み方もこのことを知っていれば不思議ではなくなる。

 十二支を時刻に当てはめると、一日は24時間だから、一つのえとの範囲は約2時間ということになり、深夜の0時が子、正午がまさに午となる。2時間ではいくら昔でも大雑把すぎるので、一刻を四つに分割したことから、「うしみつどき(丑三つ時)」という表現ができた。草木も眠る幽霊の出動時間である。十二支はさらに月や日にも適用される。芥川龍之介は辰の年の辰の月の辰の日の辰の刻の生まれだという。


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