日本語の中の外来語の歴史

 外来語の氾濫をなげく声をよく聞く。しかし、これには案ずるには及ばない面も多い。明治のころあった「シャボン」「シャッポ」(いずれもフランス語から)、「ケット」(英語のblanketから)、「ステーション」といった外来語はいつの間にか、「石鹸」「帽子」「毛布」「駅」といった日本語に置きかえられている。昔の旧制高校生が仲間うちで使っていた、「ゲルト(お金)」、「メッチェン(女の子)」、「エッセン(食事)」[ゲバルト(暴力)」といったドイツ語もかげをひそめ、今やアルバイト(ドイツ語では一般的に労働のこと)の一語を残すのみである。戦後はもっぱら英語が幅をきかせているが、ファッション関係とかコンピューター関係とかいった限定された分野以外は外来語はそれほど多くはない。試みに手近な本から外来語をさがしてみると、一ページにせいぜい数語ぐらいしか出てこない。日本語はとくに外来語が多い言語だとはいえない。外来語は、歯や芸能人と同じで「フレッシュさ」が命であることが多く、誰もが口にするようになると、もうフレッシュではなくなるため、急速に廃れていく傾向がある。

 しかし、ここでちょっと待てよ、ということになる。「石鹸」「帽子」「毛布」「駅」はどうだろう? すべて漢字で書き、しかも音読みする。ではこれは中国語ではないか、ということになろう。しかし、この四つの中で、今の中国で通用するのは「帽子」だけであり、「石鹸」は「肥皀」、「毛布」は「毛毯」、「駅」は「站」と書く(現代中国でウェブは「電網」、ウェブサイトは「網站」)。つまり、これらは和製英語ならぬ和製漢語なのである。漢字の一字一字の形と音訓を身につけた日本人はある時期から漢字を自由自在に組み合わせて本家にない漢語をつくるようになったのである。ただ、「社会」「恋愛」など、近代になって欧米の言葉を翻訳するために作られた和製漢語は中国に逆輸出されたため、多くの近代語彙が日中共通となり、筆談でも通じるようになっている。しかし、そういう言葉はインテリがよく使う語彙に多く、身近なものの名前は日中それぞれに訳語をつくった例が多い。「チョーク」を「白墨」というのは日本でもほとんど死語だが、中国では「粉筆」という。「汽車」は日本ではSLのことで中国では自動車のこと、中国でSLは「火車」という。一方、日本の植民地支配を受けた朝鮮半島の近代漢語は中国よりも日本と共通であることが多い。

 千年以上もの間に作られた和製英語もけっこう多い。阪神淡路大震災のときよく使われた「ライフライン」とか、週刊誌に多い「ヘアヌード」も和製英語だし、「デッドボール」や「フォアボール」など、野球用語にも和製英語は多い。私が大学に入ったころ、「アイスコーヒー」は関西では「コールコーヒ」というのが一般的で、関東出身の私にとっては初耳だった。喫茶店によってはメニューにCole coffeeなどと書いていたが、こんな英語はない。「コール」とは、思うに「コールド」と「クール」が混線した上に、日本語の「凍る」がかぶさったものではないだろうか? なお、「アイスコーヒー」も和製英語であり、正しくはiced coffeeなんだそうである。一般に和製英語は一部を省略する例が多いが、逆に余計なものを補ってしまう例もある。「ネームバリュー」がその例で、英語では「ネーム」だけで十分「ネームバリュー」の意味があるので、わざわざ「バリュー」をつけないのだという。
「全日空」という会社名はなぜおかしいか? 中国語は漢字一字一字が「語」である。従って、語を略すときにも、漢字一字一字の意味を考えて慎重に行う。日本には「洋服」という言葉がある。本来は「和服」に対して作られた言葉なのに、着る物はすべて洋服だと思っている若い世代も多い。「洋服」は「西洋服」を略したつもりなのだろうが、「洋」は「うみ」ということなのだから、これではダイビング・スーツのようである。中国では「西服」というのだそうである。

 話は変わるが、日本の航空業界で、海外線は長く日本航空の独占下にあった。これを最初に破ったのは全日空の香港便であった。全日空は香港のメディアに社名を売り込もうとしたのだが、なぜかこの社名は笑い話の種にされた。「全日空」は言うまでもなく、「全日本空輸」の略なのだが、中国人は漢字一字一字で判断する。まず、「全日」が「一日中」という意味であることは日本人にも容易に分かる。問題はつぎの「空」である。「そら」は現代中国語では「天空」であり、一字でいうなら「天」であり、「空」単独では「空白」の「空」、つまり「からっぽ」ととられやすい。「全日空」の飛行機に乗りましょう、というCMは、「一日中からっぽの飛行機に乗りましょう」と聞こえたわけであり、つぶれそうな会社の悲鳴のように聞かれたのだと思う。

 このように日本人が本家にない英語を、知っている語彙を自由に綴り合わせて作るのは、むかし、漢字を自由に組み合わせて作った伝統を受け継いでいるとも考えられる。ところで「チアガール」とか、「エレベーターガール」という言葉はすでに日本語になっているが、「ガール」という言葉を「あのガール紹介してよ」などという形で用いることはまずない。「ガイドブック」とか「ハンドブック」とは言うが、「ブックを読んでいる」という言い方はまずしない。「ガール」や「ブック」は語の構成要素としては取り入れられていても、それ単独で語としては取り入れられてはいない。

 音訓の区別は一般に、聞いて分かるのが訓読みで、分からないのが音読みだと説明すれば、あたる確率が高い。訓読みはやまとことば(本来の日本語)に漢字をあてはめたのだから分かるのが当然だし、音読みは中国語の音を日本語で無理なく発音できる形に直したものだから、意味が分からなくて当然である。「め、みみ、はな、くち」といえば、誰でもすぐ意味がわかるが、「もく、じ、び、こう」と言われてもとっさには何のことだか、わからない。中国語は漢字一字一字が単語なのだが、漢語のほとんどは語としてではなく、語の構成要素として取り入れられているといってもよい。でも中には漢字一字のしかも音読みで意味が分かる言葉もあるから、話はややこしい。「肉」という字を「にく」と読むのは、音読みであり、中国語をそのまま単語として取り入れた比較的少ない例のひとつである。この字の訓読みは「しし」といい、「ふとりじし」などの言葉に痕跡を残してはいるが、「にく」より知られていない言葉になってしまっている。宍戸錠・開親子で知られる「宍」の字は、「肉」とまったく同じ意味の字である。「菊」なども中国から伝わった植物であるから、そのまま音読みであり、これに当たる訓よみはない。

外来語が多いのは日本語だけではない 朝鮮語、ベトナム語は日本語同様漢語が多い。タイ語など東南アジアの言語にはインドの古典語であるサンスクリットからの借用語が多い。イスラム圏のトルコ語、ペルシャ語にはアラビア語からの借用語が多い。ヨーロッパの言語はどれもラテン語、ギリシャ語からの借用語が多い。英語はとくに外来語が多く、完全に固有の語彙は20%弱で、50%はラテン語、13%がギリシャ語、7%が北欧語、のこりはフランス語など多数の言語からの外来語である。wine,cheese,butter,cup,dish,kettle,kitchen,wall,streetなど、基本的な語彙にも外来語が多い。(梅田修著『英語の語源物語』大修館書店参照)

 取り入れた外国語をどんどん日本語として言いやすい形に改めるのも、漢語を取り入れたとき以来の日本語の特技である。最近の英語については、personal computorを「パソコン」、sexual harassmentを「セクハラ」というような例が多い。

 ガイドブックの「ブック」を単独では用いないのなら、「ガイド本(がいどぼん)」とでも言ったらよさそうだが、このようなまぜこぜの言葉を日本人は漢語を取り入れたとき以来きらってきた。そのため、いわゆる重箱よみや湯桶よみのように、音訓を同居させる読み方は、音訓のどちらかにそろえる言葉に比べれば遥かに少ない。英語と和語ないし漢語の混成語は、いわば重箱読みや湯桶読みにあたるが、「サラ金」、「脱サラ」、「着メロ」「消しゴム」「モー娘。」などとっさに思いつく言葉は少ない。もとの言葉の文法を無視するのも得意で、中国語は動詞のあとに目的語がくるのが普通であり、そのため「店開き」「人殺し」「山登り」が「開店」「殺人」「登山」となるのだが、「心配」はであることが見え見えである。「心配り」の」の」のことならば、中国語では「配心(そんな中国語はないが)」となるはずだからである。

 ともあれ百年と千年の違いで、漢語と欧米起源の外来語を比べると日本語の中でのシェアは漢語のほうがはるかに大きい。欧米起源の外来語ぬきでも話するのにほとんど不自由はないが、漢語を日本語から外してしまうと、ほとんど何もしゃべれなくなってしまうのが、今の日本語である。               

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