呉音と漢音

中国の中に同縮尺のヨーロッパ(旧ソ連諸国を除く)を入れた。
それぞれ大陸部だけだが、島嶼部を加えても大勢に影響はない。

 日本の小学校では、教育漢字といって、6年間に約1000字の漢字を教えることになっている。漢字の本場である中国では約3600字だという。中国の子供はたいへんだと思われそうだが、そうでもない。中国では、「楽」「易」など、ごく少数の例外を除いて、漢字の読み方は一字一種と決まっており、しかもその読み方が、彼らの話し言葉と同じだからである。

 これに対して、日本語では、同じ漢字を幾通りにも読む。「生」の字を例にとれば、「せい」「しょう」「いきる」「うむ」「はえる」「なま」「き」があり、「相生(あいおい←おう)」や「桐生(きりゅう)」などという固有名詞まで含めれば大変な数になる。このうち、訓読みが多い理由はすぐ納得できる。訓読みとは、漢字の意味にやまとことばをあてはめたものであり、いわば翻訳だからである。英語を訳すとき、同じ単語を場面によってさまざまに訳し分けるのと同じことである。しかし、中国の読み方をそのまま取り入れたはずの音読みがなぜ何種類もあるのだろうか? さっき中国では読み方が一字一種といったばかりではないかと思われよう。一言でいって、その違いは方言によるものであり、さらに発音というものは常に変化するので、時代の違いがこれに加わったものといっていいであろう。

 広大な中国にはさまざまな方言があり、たがいに話が通じない。ヨーロッパなら別々の言語とされるほどの違いである。現代の中国語は北京語、上海語、福建語、広東語、客家(ハッカ)語の五つに大別されるが、それぞれがさらに細分化される。しかし、漢字で書けば意思は通じるので、漢民族はまさに漢字によって統一性を維持してきたといってよい。「上海人」と書いて「シャンハイレン」と読むのは北京語で、上海語では「ソンヘエニン」とよむ。「林」という姓は、北京語では「リン」と読むが、広東語では「ラム」とよむ。在外華僑には広東語や福建語を話す人が多く、このように郷里の発音による名乗りを海外でも続けている例が多い。

 なお、「三位一体」の「三位」は「さんみ」と読み、本来はsamと読むはずだが、北京語ではsanであり、mがnに合流している。しかし、広東語ではこの区別は残っており、朝鮮やベトナムの漢字音にも残っている。「林」という姓は朝鮮半島では「イ(リ)ム」と読み、広東語の「ラム」と同様M音を残している。

 さて、日本の音読みの主流は呉音と漢音である。「呉」とは、三国志の魏呉蜀でおなじみのように、長江の下流域をさす。一方「漢」とは、中国全体をさす。呉音と漢音という言い方は、「九州音」と「日本音」と言っているようなもので、平等ではない。なぜ、このように呼び分けるようになったのだろうか?

 日本に最初に漢字を伝えたのは、百済の人であった。したがって、呉音の原型は当時の百済の漢字音である。百済は、朝鮮半島の南西部の黄海に面するところにあった国であり、中国の六朝時代に、当時文化の中心であった長江下流域とさかんに行き来をしていた。百済の漢字音も、当然この地域の言語をもとにしていた。これが「呉音」という名の由来である。ところが、中国が隋、ついで唐によって統一され、長安が都となると、文化の中心も長安(今の西安)になった。西安を地図で探してみると著しく西北に偏ったところにあることが分かる。広大な中国において、長江下流域とは言語が異なっていて当然である。

 中国統一後、日本は遣隋使、遣唐使をさかんに送ったが、呉音を学んだ使節が中国にいってもさっぱり通じない。そこで、長安の発音を日本に持ちかえり、これが本当の中国の発音だという意味で漢音とよび、日本にひろめた。その結果、漢音は呉音以上に普及したが、呉音もすでにかなり定着していたので完全に駆逐することはできなかった。その結果、漢音と呉音が併存する状態が今日まで続くことになった。朝鮮やベトナムの漢字音にはこのようなことはない。

 中国では同じ発音だった字が、日本ではある字は漢音で、ある字は呉音で読まれるために別々の読み方をするように感じられる例はほかにもある。「倫理」の「倫」と「論理」の「論」とはつくりが同じことからも同じ発音だったことが分かる。「倫敦」、これは「ロンドン」の当て字である。「己」という字は「知己」を除いて、呉音で「コ」と読まれるが、「記」「紀」「忌」など、この字を含む字は漢音で「キ」と読むのがふつうである。「言」の字は漢音で「ゲン」、「語」の字は呉音で「ゴ」と読むのがふつうだが、漢音でそろえるなら「ゲンギョ」、呉音なら「ゴンゴ」と読むべきであり、「ゲンゴ」などと読むのは、本来は言語道断である。また、呉音は、仏教とともに入ってきた経緯から、「成就」「人間」「輪廻転生」のように仏教用語に多い。寺の名前はは、横浜の地名にある「弘明寺」を「こうめいじ」ではなく「ぐみょうじ」と読むように、呉音読みするのが普通である。

 日本で音読みが幾通りもあるのは、ほとんどが漢音と呉音のちがいだが、そのほか、鎌倉以降に入ってきた唐音というものもある。唐といっても、宋以後の発音であり、「椅子」の「ス」、「行燈」の「アンドン」など、現代の北京語に似ている。「邪馬台国」は「ヤマタイ」と呼び習わされているが、これは呉音よりさらに古い上古音に基づいて「ヤマト」と読むべきである。さらに読み方が後世に日本で独自に変形したり、読み間違えられたりして生じた慣用音というものもある。「輸」(本来「シュ」と読む)などがその例である。


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