呉音と漢音の見分け方


 日本の漢字音には呉音と漢音がある。「正」という字を「ショウ」と読むと呉音となり、「セイ」と読むと漢音になる。ここでは両者の見分け方について考えてみたい。

 呉音は一言で言って「抹香くさい」。つまり、仏教語という感じがするものが多い。「経文」「成就」「殺生」「勤行」などがその例である。しかし、仏教が日本語に与えた影響は深い。たとえば「人間」という言葉は仏教語である。仏教的な考えではあらゆる生き物(衆生)は死ぬと業に応じて6つのステージ(六道)に生まれ変わるが、そのうちの一つが「人間道」であり、他に「天上道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」がある。「チクショー、このガキ!」と罵倒するときには、知らず知らずのうちに二つも仏教語を用いていることになる。常に殺し合いをしていなければならない「修羅道」からは「修羅場」という言葉も生まれた。「人間いたるところ青山あり」という句はよく、「人間悪いことばかりじゃない。いつかはいいこと、楽しいこともある」という意味に誤用されるが、漢詩に由来するこの句の「人間」は「じんかん」と読み、人間世界のことである。「青山」とは、「墓」のことであり、全体の意味は「世の中にはどこにでも骨をうずめられる所がある。だから一つの所に執着するな」という意味である。このように、漢籍(漢文、漢詩など)に由来する語は漢音読みをする。

 今日では漢音が呉音より優勢であるが、それは漢籍を通して入った漢音が庶民の間に急速に広まった明治以降のことである。明治に西洋語の翻訳のために作られた新語もほとんどが漢音読みであった。しかし、江戸時代以前の庶民の間では、漢音読みの漢語はほとんど普及していなかった。庶民が知っていた漢語は、より古く入った呉音読みの漢語にほぼ限られていたといってもよい。数を数えるときの「二、六、万」は呉音で「に、ろく、まん」と読み、漢音で「じ、りく、ばん」と読むことはない。助数詞の「人、枚、丁」も「にん、まい、ちょう」と読み、「じん、ばい、てい」とは読まない。「人」などは、「遊び人」のように和語ともすんなり結合している。「幕」「情」などの一字漢語も「まく」「じょう」と呉音読みして、「ばく」「せい」と漢音読みはしない。しかし、江戸時代以前から、漢音がしだいに呉音を駆逐する傾向はあった。お寺の「境内」などは「きょうない」と呉音読みしそうなものだが、漢音で「けいだい」と読んでいる。このように、呉音の本丸ともいうべき仏教語にまで漢音が入り込んでいる例も少数ながらある。

 以上、呉音と漢音の分布の概要について述べてきたが、これ以後は、音の面から、両者を体系的に比較してみたい。

 まず清濁が対立するときは、濁っているのが呉音、濁っていないのが漢音である。ただし、日本語には複合語をつくるとき、あとの言葉が「ふるだぬき」のように濁る「連濁」という現象があるので、言葉の頭で比較していただきたい。「大地」「土星」「上陸」は呉音、「大会」「土地」「上人」は漢音である。「上人」は仏教用語が漢音で読まれる数少ない例の一つである。

 「神奈川大学(私立)」「神戸大学(国立)」はいずれも「神大」と略されるが、前者は「じんだい」と呉音で、後者は「しんだい」と漢音で読まれる。現在の中国語には音韻としての濁音がないが、呉音にはあったのであり、それがなくなる傾向がすでに漢音の段階で始まっていた。

 つぎにm、nといった鼻音と非鼻音が対立する場合は、鼻音が呉音、非鼻音が漢音である。「末尾」「武者」「美男」「憤怒」は呉音、「末子」「武士」「男性」「激怒」は漢音である。「怒」の場合は母音も異なっているが、これについては後述する。「イ」「エ」や拗音の前では呉音のnが漢音では「ジ・ゼ」のようになる。「縁日」「天然」「柔和」と「休日」「自然」「柔道」とを比べられたい。鼻音が非鼻音化する現象は世界中の言語で見られる。「三郎」を「さぶろう」と読むのも、本来「サム」だった「三」が非鼻音化して「サブ」となったからである。

 呉音と漢音の違いは、母音の部分においてより顕著である。中国語の母音は日本語の「アイウエオ」では分類しきれず、それをどれにあてはめるかの解釈の違いもあるが、呉音と漢音のそれぞれのもとになった音がすでに違っていたのが主要な理由である。さきに、「怒」という字が呉音で「ヌ」、漢音で「ド」となる例をあげたが、これは「図」の字が呉音で「ズ」漢音で「ト」となるのと同じである。もとの音はそれぞれ"du","to"であった。「ズ」が昔は「ヅ」と書かれていたのもこのためである。以下、由来はさまざまだが、説明を簡潔にするために一括して言えば、「ウ」音と他の音とが対立するときは、「ウ」音が呉音、それ以外が漢音と考えてよい。「口調」「有無」「留守」「大工」「功徳」などは呉音、「人口」「有名」「留年」「工場」「功績」などは漢音である。

 呉音と漢音の対立で目立つのは「ヨウ」と「エイ」の対立である。「明星」を「ミョウジョウ」と読めば呉音で、「メイセイ」と読めば漢音でそろえたことになる。「京」の字は「東京」では「キョウ」と呉音読みされるが、「京浜」となると「ケイ」と漢音読みになる。明治初期の東京には「トウケイ」と呼ばれていた時期がある。「正月」と「正義」、「人形」と「形式」、「落丁」と「装丁」、「平等」と「平気」、「怨霊」と「幽霊」など、この例はあげれば切りがない。なお、「ヨウ」はもともと「ヤウ」であった。だから、「ヨウ」と「エイ」の対立は、「ヤク」と「エキ」の対立と同じことである。「ヤク」と「エキ」の例としては、「配役」と「使役」、「磁石」と「宝石」、「(比叡山)延暦寺」と「還暦」などが挙げられる。

 「兄弟」と「師弟」、「体育」と「体裁」、「新米」と「渡米」などの場合は、「アイ」が呉音、「エイ」が漢音である。関西の私学として有名な関西大学は「かんさい」、関西学院大学は「かんせい」(さらに正式には「くゎんせい」)である。これはミッション・スクールである関学が仏教臭の強い呉音読みを嫌ったためだという。

 「エ」が呉音、「ア」「アイ」が漢音という例としては、「下界」と「下流」、「人間」と「時間」、「解熱」と「解釈」、「外科」と「外国」、「象牙」と「毒牙」などが挙げられる。「外」「牙」の場合、ともに濁音となっており、漢音では清音というさきほど述べた原則に反するように思われようが、これは、子音がngという鼻音であるため、gとkの対立とは異なるからである。「オ」が呉音、「エ」が漢音という例としては、「建立」と「建築」、「荘厳」と「威厳」、「祇園」と「公園」などがある。「オ」が呉音、「イ」が漢音という例としては、「黄金」と「砂金」、「騒音」と「母音」、「近藤」と「近代」、「六法全書」と「六朝(りくちょう)時代」などがある。「エ」が呉音、「イ」が漢音という例には、「作務衣」と「着衣」、「戯作」と「遊戯」、「毒気」と「空気」などがある。

 熟語をつくるとき、呉音同士、漢音同士で読むのが普通であり、組み合わされる字の読み方によって呉音か漢音かが分かる例が多いのだが、もっぱら、あるいはたいてい呉音読みする字やたいてい漢音読みする字の場合、組み合わされる字の如何を問わずその読み方を守るため、呉漢がまざりあった読み方になるときがある。「音声」を「オンセイ」と読むと、「オン」は呉音(漢音は「イン」)、「セイ」は漢音となるのがその例である。呉音でそろえるのなら、「大音声(だいおんじょう)」のようになるはずである。「美男」も呉音でそろえるなら「みなん」、漢音でそろえるなら「びだん」となるはずである。


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