比較言語学とは何か?

 日本人のほとんどは英語を最初の外国語として学ぶ。日本語とは縁の遠い言語だけに四苦八苦するが、これでもヨーロッパの言語の中では、文法の簡略化が最も進んだ言語である。指、手、腕を "Finger, Hand, Arm" というように英語ときわめて近い関係にあるドイツ語ですら、英語よりだいぶ複雑である。まず、生物に限らずあらゆる名詞に男性、女性、中性の区別がある。英語では「格」の区別はI,my,meなどの限られた言葉に限られるが、ドイツ語では目的格が与格と対格の二つに分かれ、英語では一定の形をとっている a(an) と the にあたる言葉が、それにつれて複雑に変化する。

 ラテン語となると、格の数は6つになる。英語で「ブルータス、お前もか!」は "And you,Brutus!" であろうが、ラテン語では "Et tu,Brute!" となる。Bruteは、「ブルートゥス(ブルータスは英語よみ)よ!」という呼びかけを示す「呼格」であり、Brutusは主格の形である。ドイツ語でもあまりないことだが、ラテン語では名詞自体がこのように変化する。なお、「Et tu」は「And you」なのだから、カエサルの言葉の意味は「そしてお前もこうなるんだ」だという解釈もある。「お前も?」ではなく「お前もだ!」ということになる。

 ウィリアム・ジョーンズ(1746-1794)というイギリス人がいた。ギリシャ語やラテン語に精通していたが、生活のために法律の道に進み、イギリス植民地となっていたインドに判事として赴任し、ここでインドの古典語であるサンスクリットと運命的な出会いをした。日本でも「梵語」として古くから親しまれた言語である。サンスクリットとヨーロッパの言葉に類似点があることには、ジョーンズ以前にも気がついていた人がいた。なにしろ、父母はラテン語の pater, mater に対してpitar, matar だし、数詞もラテン語の「一、二、三」が unus, duo, tres なのに対して ena, dvi, trayaという。しかし、ジョーンズはそれ以上に、サンスクリットの格が8つもあり、そのうちの6つがラテン語、ギリシャ語の格と一致することに驚いた。ロシア語などのスラブ系言語の場合は、さらに7つまで一致する。こうしたことから、ジョーンズは、サンスクリットがヨーロッパの諸言語と共通の祖語から生まれたことを確信し、学会でそのむねの発表を行なった。言語間の系統関係を証明することを目的とする比較言語学は、このジョーンズの説を裏付けるものとして、19世紀に全盛を迎えた。

 比較言語学は、印欧語族と目された言語同士を比較することを通じて、印欧祖語の復元につとめた。さいわいなことに、サンスクリットやギリシャ語やラテン語には古い文献が豊富にあり、言語と言語を結ぶなかだちとなる言語の数も多かった。祖語の復元は完了し、ヨーロッパからインドにかけて分布するおびただしい数の言語が、インド・ヨーロッパ(印欧)語族として一括されることになった。東はロシアまでを含む今日のヨーロッパで、印欧語以外を公用語とする国は、フィンランド、エストニア、ハンガリーの3つだけである。インドでも、ドラヴィダ語族の言語を話す南部4州(人口は億を超えるが、人口大国のインドでは少数派)を除けば、どの州でも印欧語が圧倒的に優勢で、しかも飛び地のように、スリランカのシンハラ語も印欧語族である。さらに、パキスタン、アフガニスタン、イラン、タジキスタンも印欧語が大勢を占める国である。

 印欧語族として一括された諸言語の系統関係は今日ゆるぎないものとなった。しかし、ここで、表題にも書いたように、言語に系統関係があることを、インド人とヨーロッパ人が同じ種族であるということと同一視してはならない。インド人とヨーロッパ人は見かけも違えば、文化伝統も大きく異なる。今日、アフリカ諸国では、土着の言語が細かく分かれているために、英語やフランス語がそれにとって代ろうとしている。しかし、これはアフリカ人がヨーロッパ人になるということを意味しない。広大な地域にひろがるテュルク(トルコ)系の言語の話し手にはモンゴロイド的な人からコーカソイド的な人まで、さまざまな見かけの人がいる。言語と人種・民族とは、やはり別物と考えなければならない。印欧語族といっても、今日も語彙の多くがそっくりだというわけではない。それぞれの場所で非印欧語族の言語からの借用語を取り入れるし、それぞれの言語で新たに生まれる言葉も多いからである。

 よくヨーロッパ大陸という。極に近いほど大きく描かれるメルカトール図法では、ほぼ同じ大きさのグリーンランドとアラビア半島の大きさがひどく違う。そのせいもあって、ヨーロッパは実際以上に大きく思われがちだが、地球儀で見るならば、大陸というよりは半島という程度の大きさだということが分かる。さらに、狭い地峡で隔てられたアフリカを別の大陸とすることは自然だが、アジアとヨーロッパの境界は東方では見つけにくい。ヨーロッパとは、大きさから見ても地形から見ても大陸ではなく半島であり、アジアとは、ヨーロッパ半島以外のユーラシア大陸をヨーロッパ人が総称した言葉に過ぎないと考えたほうがいい。旧ソ連から独立したカフカス(コーカサス)三国は便宜的にヨーロッパに入れられることが多いようだが、このうち印欧語族が主である国はアルメニアだけである。南北アメリカ大陸やオーストラリア、シベリアなど、近代に入ってから拡張した部分を除けば、印欧語族の占める土地がとびぬけて広大だというわけでもない。

 印欧語族で成功した比較言語学は、同じ方法で多くの言語を少数の語族に一括することに成功している。しかし、どうもうまくいかないのが、日本語を含む北東アジアの言語である。そのことから、ヨーロッパ流の比較言語学の方法は必ずしも万能ではなく、ほかの方法を考えなければならない場合もあるのではないかという主張を唱える言語学者もいる。しかし、比較言語学の功績は、系統関係の証明だけにとどまらない。言語が常に変わるものであることを明らかにすることで、言語学を「言葉の正しさ」にこだわる発想から解放したのも功績の一つだし、音韻や文法の構造に目を向ける習慣を養ったという意味では、つぎの20世紀の言語学への橋渡しの役目をも果たしている。


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