なぜ方言があるのか?

 よく「言葉が乱れている」という。しかし、言葉は乱れていて当たり前なのである。時代が経つにつれ、それまでなかった事物が生じてくる。それを表現するには新しい言葉や語法が必要になってくることは言うまでもない。日本語の「ぱぴぷぺぽ」が「ふぁふぃふふぇふぉ」を経て今日の「はひふへほ」になったように、音声も変わる。「外套」が「オーバー」を経て「コート」になったように語彙も変わる。「切れる人」といえば、一昔前は賢い人のことだったが、今では怒りっぽい人のことである。このように言葉の使い方も変わってくる。「学校が見ゆるばい」といえば九州弁だが、「見ゆる」は、古語のヤ行下二段活用をそのまま受け継いでいる。しかし、他の地域では、この点で文法はすっかり変わっている。考えてみれば古文は関西弁で、標準語(「共通語」という言い方はなかなか普及しない)は関東弁なのだから、時代の違いのほかに地域の違いもあろうが、関西の受験生が古文に強いなどということは別にない。

 乱れに乱れを重ねて、日本語は今日の姿になったのである。これは何も日本語に限ったことではない。大学時代に独文科の学生からまた聞きしたことであるが、あるドイツ人の話によると、ドイツ人が日本語を話しているのを聞くと、ドイツのどの地方の出身かがすぐ分かるということである。日本人が外国語を話すときにも、出身地の方言の特徴が無意識にあらわれることも多いと思う。日本の場合は、江戸時代の幕藩体制のために人為的に方言差が広がった面はもある。今日の青森県では旧津軽藩領と旧南部藩領ではかなり言葉が違っているが、その境界は地形的には何の障碍物もない平野の上にあるという。明治以来、中央政府によってかなり強引な言語統一が図られ、「方言撲滅」などという物騒な標語まで掲げられたが、さほどの効果はなかった。しかし、今日ではテレビをはじめとする通信手段の発達などにより、このような上からの強引な力によらずとも、自然に言語の統一が進んでいるようである。

 今日の日本では稚内から与那国までの日本人が日本語のテレビ番組を見て泣いたり笑ったりしている。新しい表現ができれば、それはたちまちのうちに全国津々浦々にまで浸透する。しかし、このような状況は、人類の長い歴史から言えば、ごく最近のことであることを忘れてはならない。言語は常に変わるものである。昔は小さい地域に分かれて、それ以外の地に住む人々とは一生ほとんど没交渉で過ごす人のほうがずっと多かった。そのため、言語の変化は小さい地域ごとに別々に起こることになる。こうして、方言が生じ、たがいの差がもはや会話が通じなくなるほどに広がったとき、別々の言語と意識されるようになるのである。

 哲学、理想、抽象、本能、主観、客観、否定、肯定、現象、観念……。こういった言葉は、この西周(にし・あまね1829-1897)が翻訳して創った近代漢語であり、中国など他の漢字文化圏にも逆輸出され、今でも用いられている。

 明治以降、日本語は急速に漢語を増やした。明治以前の庶民はあまり漢語を用いなかった。戦後になっても、「その理由はなんですか」と聞いても通じず、「なんでだ」とでも聞かないと分からない人がかなりいたものである。漢語の多くは、西洋語の訳語として新たに作られた。そのために、日本人は日本語のままで近代を迎え、近代を消化することができた。これは、漢語の造語力に感謝すべきである。今日、多くの途上国では、小学校段階までは自分たちの言葉で教育をするが、高等教育となると、旧宗主国の言語に頼るという国が多い。これでは国民の間に分裂が生じる。自分の言語ですべてがまかなえるというのは、国全体が近代化する上で、きわめて有利な条件として働く。その意味で漢語の功績は認めざるをえないが、方言を目の敵にしたのはどうかと思う。少なくとも、互いにだいたい通じるのであれば、ちょっとした言い回しが違うということに目くじら立てる必要はどこにもない。難しい漢語を用いずとも、ある地域だけで用いられていた語を西洋語の訳語として採用するというような方法が可能な例も少なくなかったと思う。

 言葉は生き物である。生き物である限り、多様であることが自然な姿である。これだけが正しい日本語と考えるのではなく、多様な方言の総体を日本語と考え、そこに日本語の豊かさがあり、生命力があるのだという発想も可能なはずであった。しかし、ひたすら欧米に追いつくことを考えていた時代の日本人に、そのような発想を求めるのは無理だったのであり、今だからこそ言えることなのかも知れない。

 なお、言語学、国語学ではよく「東京方言」という語が用いられる。「方言」という言葉を「ある言語の地方的変種」という意味にとらえれば少しもおかしな表現ではない。しかし、「方言」という語を「標準語ではない言葉」と考える人には、「東京方言」という言い方が奇異に聞こえるらしい。同じことが「地方」という言葉についてもいえる。東京人は東京を「地方」と思っていないらしく、「地方に行ったとき」という言い方を普通にするが、「地方」の人を交えて話をするときには気をつけたほうがいい。郵便ポストの投函口は普通どこでも「県内」と「他府県」に分かれているが、東京のポストだけが「都内」と「地方」となっていたのは、私の記憶に新しい。昔の日本の軍隊で、軍外の人を「地方人」と呼んでいたのと同じような意識がまだ残っていたような気がする。「標準語」という言葉は、「それ以外は使ってはならない」という強制のいやな記憶があるため、今日では公には用いられず、代わりにさまざまな方言があることを前提とした「共通語」という言葉が用いられるようになっている。

方言についての下記の2つのページはオススメです。
高知の面白いページにある「土佐弁の小話」。
ずんね空間
にある「開田ことば講座」。
 


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