Sがのばせる音であるのは、口の中に狭い隙間をつくり息でそこをこすることで出す音だからである。こういう音を「摩擦音」という。熱い飲み物を飲むとき、フーフーと吹くのも摩擦音である。これに対して、K、T、Pという音はのばすことができない。隙間をあけるのではなく、口の奥や舌先や唇で閉鎖をつくり、それを一気に破裂させる音だからである。こういう音を破裂音とか閉鎖音とかいう。破裂音と摩擦音が一体となった破擦音というのもあり、「チ」「ツ」の子音がそれにあたる。破擦音ものばすことができるが、のばすとすぐに「チ」は「シー」、「ツ」は「スー」に変わってしまうところが、摩擦音と違う。これは、「チ」や「ツ」の子音が、Tの破裂のあとにできた隙間を用いてすぐに摩擦に移行する音だからである。なお、英語でアルファベットを唱えるとき、「エ」で始まる子音字が
f, l, m, n, s の五つある。いずれも昔は子音だけでのばして唱えられていたようだ。 有声になると閉鎖音と摩擦音の区別すら怪しくなるのだから、日本語の「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」のような摩擦音と破擦音の区別はさらに難しい。しかし、日本人は今日もこの二つを発音し分けているのである。「象」というときの「ゾ」と「インド象」というときの「ゾ」が別の音だというと誰しもとまどう。しかし、舌の動きに注意してみると、「象」というときには、舌先が口蓋(口の天井)にくっついているのが分かる。「インド象」というときには、舌先はくっつかないことが分かるはずである。つぎに、内緒話をするときの話し方で「象」といってみよう。「ゾー」というより「ツォー」と聞こえるはずである。これに対して、同じように「インド象」と言ってみると、「象」のところが「ソー」のように聞こえるに違いない。「象」と「インド象」の二つの「ぞ」の違いは、語頭にあるか語中にあるかということから生じる。私たちが常に「さしすせそ」の濁った音だと思っている「ざじずぜぞ」は、語中ではたしかに「ザ・ジ・ズ・ゼ・ゾ」と発音されているが、語頭では「ヅァ・ヂ・ヅ・ヅェ・ヅォ」のように発音されているのである。ただし、「心臓」のように「ん」のあとにつくときには、語中であっても「ヅァ・ヂ・ヅ・ヅェ・ヅォ」と発音されている。このように、「ザ・ジ・ズ・ゼ・ゾ」と「ヅァ・ヂ・ヅ・ヅェ・ヅォ」の役割分担がはっきり決まっているために、私たちは日ごろ「ざじずぜぞ」を二様に発音していることに気付かずにいる 今日、日本語では「ばびぶべぼ」が「はひふへほ」の濁った音だと思われている。しかし、[b]と[h]とでは音声的にはまるで似ていない。清濁の対応関係がこのようにずれたのは、濁音のバ行がずっと同じ子音を保ちつづけたのに対し、清音のハ行が[p]→[Φ]→[h](あとの変化は語頭でのみ)と子音を変えてきたからである。ここから、サ行が古くは「ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォ」のような音だったのではないかという説が出てくる。バ行において濁音が清音の古い姿をとどめているのと同じ理屈だからである。ただ、朝鮮語でカタカナの「ス」に似たハングルで示される子音が地域により[t∫]であったり[ts]であったりすることなどを考えれば、「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」のような音だったかも知れない。これが今日のような「サ・シ・ス・セ・ソ」に変わったのは、本来「タ・ティ・トゥ・テ・ト」だったタ行が「タ・チ・ツ・テ・ト」に変わったため、「チ」や「ツ」が同じになってしまうことを避けた結果と考えられる。また、五十音図の行の配列は、梵字の配列にならったものと思われるが、五十音図の配列に載せた梵字の配列表を見れば分かるとおり、[s]は半母音よりもあとに出てくる。現代日本語の発音に基づいて五十音図を新たにつくるなら、行の配列は「あかたなまやらわさは」となるであろう。 ザ行が「ヅァ・ヂ・ヅ・ヅェ・ヅォ」または「ヂャ・ヂ・ヂュ・ヂェ・ヂョ」でダ行が古くは「ダ・ディ・ドゥ・デ・ド」、のような発音だったとすれば、「じ」と「ず」、「ず」と「づ」は、当然むかしは区別されていたことになる。そして、現在でも土佐方言などではその区別が維持され、「四つ仮名弁」と呼ばれる。これに対して、「ジ」と「ヂ」の区別のみ無くなった大分方言は「三つ仮名弁」、共通語は「二つ仮名弁」ということになり、「ジ」と「ズ」の区別もなくなった東北方言、雲伯方言(いわゆるズーズー弁)は「一つ仮名弁」ということになる。「じ・ぢ・ず・づ」という間違いやすい仮名遣いを整理した「蜆縮涼鼓集(けんしゅくりょうこしゅう)」という本が江戸時代に出たが、蜆(しじみ)縮(ちぢみ)涼(すずみ)鼓(つづみ)とは、うまくつけた表題である。 |