日本の女性名の変遷

 子供の名づけは変化が激しいが、中でも女の子の名前は、はやりすたりが激しい。これは、女の子の名づけには著しく制限が多いためである。まず、「じゅんこ」のように拗音を含み実質3文字である名前を除いて、4文字以上の名前がほとんどなく、「さくらこ」や「かおるこ」ぐらいしか聞かない。つぎに、「じゅん」や「じゅんこ」、古くは「げん」や「ぎん」など少数の例外はあるが、濁音で始まる名前が少ない。のび太君をいじめるジャイアンの妹は「ジャイ子」だが、作者の藤子不二雄F氏はありうる名前をつけてからかわれる子が出てはと考えて、わざとありえない名前をつけたのだという。

 「ジャイ子」のような「子」のつく名前は、1946年生まれの私の世代には全盛期を迎えていたが、最近ではひどく人気がなく5%ぐらいしか用いられないらしい。その上で、2文字か3文字で名前を考えるとなると、似たような感じの名前が多くなる。そのため、すぐに飽きられてつぎの流行が起るのも理解できないことではない。しかし、純然たる西洋風の名前には、さすがに抵抗を感じる人が多いようだ。「可憐(かれん)」「自由里(じゅりー)」「亜賀沙(あがさ)」などという名を聞いたことがあるし、昔にも前田美波里(びばり)という歌手がいたが、それほど多くはなかった。

 戦後まもなく生まれた団塊の世代では、女子の85%ぐらいが「子」のつく名前を持っていた。他の15%も、「え(江、枝、絵、恵)」や「よ(代、世)」、「み(美)」など限られた字で終わり、他に「みどり」「ゆかり」などがいる程度であった。もっとも、私の高校時代には、「はにわ」「すばる」「マリア」など、かわった名前もあった。「子」のつく名前のうちでも、私の世代にとくに多かったのは、「かずこ」と「ようこ」であった。何しろ敗戦の翌年なので平和を祈って和子、これからはアメリカと仲良くする時代だということで洋子というわけだったのだろうか? しかし、現実にいちばん多いのは「けいこ」であったらしい。この「けいこ」の「けい」には、「恵、景、慶、圭、啓、敬、桂、慧」など、実に多様な字が用いられる。また、私の同級生の女子には、「裕子(ゆうこ、ひろこ)」「淳子(じゅんこ、あつこ)」「恭子(きょうこ、やすこ)」など、本人に聞かなければ読み方が特定できない例が多かったものである。これはやはり、女性の名前の種類が少ないことのあらわれであろう。音の感じはだいぶ変わったものの、漢字の書き分けで音の種類が少ないことを補っていることは、今もあまり変わりはない。

 日本は長い間、男社会であった。そのため、男の名前は多様である。とくに武士は、名前の他に通称を持っていた。太郎とか次郎という名づけ方は中国の唐の時代に始まるようであるが、日本ではこれが本国以上に普及した。太郎や次郎が増えすぎたためにその前に「慎太郎」「裕次郎」のように一字を補うことも行われた。「郎」の字が略されて源氏の長男なら源太、平家の三男なら平三という呼び方もされた。律令時代の官職名を通称として用いることも多く、「浅野内匠頭長矩」「吉良上野介義央」のように本来の名と併記された。「右衛門」「左衛門」「兵衛」なども官職名であるが、庶民も普通に用いていた。一生の間に何度も名前を変えることも、庶民にいたるまで盛んに行われていた。明治になって、姓と名は一つずつとされ、改名も原則として禁止されたが、男の場合には、それまでの名に由来する名と通称に由来する名とがあり、それだけでも多様性が保証されていた。

 古くから女性にも名前があったことはもちろんである。しかし、女性の名前はおおやけには用いられないため、後世にあまり残らないのは、清少納言や紫式部の例でも分かる通りである。少納言や式部は父や兄の官職名であり、「清」は生家の「清原」姓を略したもの、「紫」は源氏物語のヒロインの名に由来すると言われていて、それぞれの本名ではない。皇族など身分のある女性の場合は名前が残っているが、その読み方は分からない。たとえば、清少納言や紫式部が仕えた皇后、中宮は「定子」「彰子」といったが、読み方が分からぬため、一般には「ていし」「しょうし」と音読みされている。しかし、実際には「さだこ」「あきこ」のように訓読みされていたであろうという説が最近では有力である。このように、定子、彰子のように「子」のつく名前は、「やんごとなききは」に限られていた。

 明治生まれの女性には、「むつ」「ふさ」「いわ」「みよ」といったように、「子」のつかない2文字の名前が普通であった。江戸時代そのままだったと言ってよい。私の母の世代は21世紀に入った今でこそ高齢だが、私が物心ついたころには若い人であり、母の名前にも「子」はついている。「子」のつく名前は、当時としては新鮮な感じのする名前だったに違いない。そして、「子」のつく名前は私の世代に最盛期を迎えた。かつて高貴な女性が独占していた名前が一般に開放され、民主化されたことになるが、よく考えてみると、「子」という文字自体、男社会の中で、女であることを特殊なものと考えた上でつけられたマークにすぎないような気もしてくる。女性の名前は、長く「名前」というより「符牒」であった。丈夫に育つようにと「くま」とか「とら」とか名づけられた女性も少なくない。言わば、犬に「ぽち」とつけ、猫に「たま」とつけるのと大差のない符牒だったのである。ところで、馬や犬を「号」をつけて呼ぶことがある。戦前のオリンピックで金メダルを獲得した西大尉の乗馬は「ウラヌス号」であった。私は、小さいころ、このような呼び方が、生き物をモノ扱いするような気がして好きではなかったのだが、女性につけられた「子」も、この「号」のようなものだったのではないだろうか? なお、明治ごろまで一般的だった「おふさ」のように「お」をつけるのは、人が呼ぶときに限られており、自ら名乗るときには、「お」をつけなかった。

 女性名がかなりいい加減につけられた例として、「すゑ」「とめ」「すて」という名が挙げられる。男の子がほしいのに、女の子がたて続けに生まれると「すゑ」、さらに生まれるともう止めてほしいということで「とめ」とつけ、ついには「すて」ということになったという。作家の吉行淳之介の母親の半生を描いたテレビドラマで有名になった「あぐり」にも同様の意味があったらしい。もっとも、女性名がいい加減につけられたのは、他の漢字文化圏でも同様のようで、在日韓国人一世の女性で「又順達(ウスンダル)」という名の人に会ったことがある。「又」は姓ではなく、3文字全体で下の名前なのであり、「順達(スンダル)」」というお姉さんがいるという。今度こそ男だと思ったのに、「また女だ!」、名前などどうでもいいというわけらしい。中国には「招弟」という名の女性が多いが、その意味はちょっと考えれば分かるであろう。また、中国では例えば周という家に生まれて王という家に嫁いだ女性は、「王周氏」と呼ばれるということが多かった。これは「名前」というものではなく、むしろ名前がないということを示すものである。今の中国や韓国では女性にもちゃんとした名前がつけられているが、男子名と区別がつかないことがよくあるのは、女性独自の名の種類が少ないためであろう。韓国の女性独自の名前としては、「淑」「貞」「順」などがつくものが多く、いかにも儒教文化圏という感じがする。

 私の世代を最盛期として、「子」のつく名前は減少している。もっともその減少の度合いが急に高まったのは、1980年ごろからのことらしい。これはメディアの影響力と強まりと比例しており、親がテレビを見る時間の長い家で育った子は、「子」のつかない今風の名前をつけられる率が高いのだという。

 子供は自分で自分の名前をつけられない。私たちの世代はテレビのテの字もない時代に生まれ、街頭テレビで力道山のプロレスを見て育った世代である。家にテレビが入ってきたのは、途中からであった。したがって、メディアの洗礼を受けた最初の世代とはいえ、まだその影響力には制約があった。20年ほど前から「子」のつく名前が急減したのは、生まれたときからテレビが当たり前の中で育った世代が親となり、名づけをするようになったとき、ブラウン管に映るタレントの名前を模倣しだしたことによるようだ。

 日本の女性名は、男性名より遥かに種類が少ないが、これは男性名が多様でありすぎるためであり、欧米の女性名よりはずっと多様性がある。昔のヨーロッパでは、男女の別はあるものの子供に同じ名前をつけることがよく行われていた。長女も次女も三女も「エリザベス」という具合である。もちろん、これでは、家庭の内外を問わず不便きわまる。「エリザベス」をに対する「リズ」「ベス」「ベティ」、「マーガレット」に対する「メグ、ペギー」のように、さまざまな愛称が発達したのもこのためである。北欧神話の「三匹のやぎのがらがらどん」では、三匹のやぎの名前がすべて「がらがらどん」であった。

 音の響きや束の間の流行や思い込みだけで選ばれた今風の女の子の名前からは、親の願いや主張が伝わってこない。個性を主張しているようで何の主張にもなっていない。私自身は、これよりは「子」のつく名前の方がずっと好きである。似たようなメイクをした中ですっぴんが目立つように、今ではかえって目立つかも知れない。大して多様でも個性的でもない上に、伝統にも根のない奇抜すぎる女の子の名前が、これ以上増えないことを願わずにはいられない。


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