「神」と「上」は同じ語源か?

 音韻の単純な日本語ではこじつけがしやすいので、語源について思いつきのような説がよく唱えられることがある。「上」と書いて「カミ」とよむ。これを広げて、「神」は天上にいるから「カミ」であり、「髪」は人間の体のいちばん上にあるから「カミ」だなどという調子である。しかし、さすがに「紙」までは巻き込めない。「紙」は、漢語の「書簡」などの「簡」の字の音読みから変化したのではないかとも言われている。「紙」は別として、「上」「神」「髪」が同じ語源だという説は一見もっともらしく思われる。しかし、この説は、奈良時代に「神」の「ミ」と、「上」「髪」の「ミ」とが別の発音であることが分かったため、もう誰も相手にする学者がいない。

 まだ仮名のなかった奈良時代の文献は、音訓とりまぜて漢字を駆使した「万葉仮名」で書かれていた。その漢字の用法をくわしく調べていた国語学者橋本進吉は奇妙なことに気がついた。同じ音を示す漢字が言葉によって二つのグループに分かれているのである。たとえば、「コ」という音は、「子」「小」「越ゆ」「恋」などの場合は「古」「固」「姑」「故」「胡」などで示され、「心」「琴」「(助詞の)こそ」「こもる」などの場合は「許」「虚」「去」「拠」などで示されていた。そして、「子」が後のグループの漢字で示されることも、「心」の「コ」が前のグループの漢字で示されることもまったくなかったのである。これは、それぞれのグループの漢字で示される「コ」が別々の音だったと考える以外に説明がつかない。しかも、それぞれのグループの漢字は、中国語でも発音によって分かれている。前のグループには「顧」「孤」も含まれるが、「古」という字を音符として持つ字が多い。後のグループには呉音では「コ」とよむものの、漢音では「キョ」とよむ字が多い。橋本がこの発見を「国語仮名遣研究史上の一発見」という論文にまとめて発表したのは、1917(大正6)年のことである。

 これと同様の理由で、奈良時代の日本語では、「キヒミケヘメコソトノヨロ」およびその濁音である「ギビゲベゴド」、さらに「エ」の19の音がそれぞれ2つに分かれていたことが証明された。しかし、この区別は奈良時代の間にもすでに衰退が始まっていたらしい。そのことは古事記でさらに「モ」という音も2種類に書き分けられていたのに、日本書紀など他の文献では区別が失われていることからも分かる。「エ」が2種類に分かれるのは「エ」と「イェ」の区別なので別として、他の19音については、「甲類のキ」「乙類のキ」といった言い分けがなされている。こういった書き分けは「上代特殊仮名遣」とよばれているが、甲乙に分かれるのは、イ段、エ段、オ段の音に限られるので、奈良時代の日本語には8種類の母音があったと考えられている。ただ、イ段とエ段の場合は甲乙の区別のある音が限られているので、発音の違いだということに異議を唱える人もいる。母音のそれぞれがどのような発音だったかは分からないが、手がかりがないわけではない。まず、甲乙の母音の分布にはいちじるしい偏りがみられ、イ段では甲類が、オ段では乙類が圧倒的に多い。そしてエ段は、甲乙ともにたいへん数が少なく、あっても半数以上は漢語である。このことから、日本語の母音はもともとはア、イ(甲類)、ウ、オ(乙類)の4種類であり、他の4種類はこれらが組み合わさることで生まれてきたものと考えるのが自然である。8母音体系は、4母音体系から5母音体系に変る過渡期の現象とみることができる。なお、この仮名遣いの奇妙な傾向については、すでに江戸時代の国学者石塚龍麿が気がつき、「仮字遣奥山路」という本に発表していたのであり、橋本の功績はそれをもう一度万葉集の歌にあたって確かめ、音韻の違いであることを証明したことにある。橋本の所説の詳細については、古代国語の音韻に就いてという一般向けの講演会の記録を参照されたい。

 今日、われわれは「日」と「火」とを書き分けている。太陽は火の玉なのだからもともとは同じだなどという説は、「日が」と「火が」がアクセントでも区別されていることを考えただけでも怪しいが、上代特殊仮名遣で「日」が甲類に、「火」が乙類に属することが分かってまったく成り立たなくなった。また、「ほかげ」といったら、「日陰」ではなく、「火影」のことである。「火」が「ほ」と表現されることは古語ではほかにもたくさんあるが、「日」はつねに「ひ」である。「火」のようにイ段(乙類)とオ段(乙類)が入れ替わる例としては、「木」がある。「木の葉」「木陰」などを思い出されたい。「青は藍より出でて藍より青し」というが、「青(あを)」と「藍(あゐ)」の関係も、2文字めがともにワ行であるので、この部類に入る。こういったことから、甲類の「イ」はもともと「イ」だったが、乙類の「イ」は、乙類の「オ」に甲類の「イ」がついて融合したものだと考えられている。「イ」は「ウ」とも入れ替わることがある。馬の舌に当ててブレーキの役目を果たす金具を「クツワ」といい、「轡」の字を当てるが、本来「口輪」と書くべき言葉である。「栗栖」という姓は「くるす」と読むし、「月読命(つくよみのみこと)」という神様の名前など、奈良時代の文献にはこのような例がたくさん出てくる。「ウ」と入れ替わる「イ」も、やはり乙類である。

神代文字(じんだいもじ) 日本に漢字伝来以前に文字がなかったというのは恥だと考えた者がこしらえた神代文字なるものがある。古いものは江戸時代の国学者によって作られたらしい。阿比留(あひる)文字、秀真(ほつま)文字など、なんと百種類以上もあるが、いずれも、江戸時代以降の音を表す文字しかなく、上代における母音の甲乙の別の発見によって論拠を絶たれた。その多くは、江戸時代から日本でも知られていたハングルに似ている。たとえば阿比留文字では、「あかさたなはまやらわ」は、のように書くが、一見してハングルそっくりである。あまり同じなのは具合が悪いと思ったのか、「モ」はハングルなと書くところをとするなどの細工をほどこしている。傑作なのは、古代日本語にはなかった「ん」を表すなどという文字まで作られていることで、カタカナの「ン」に似ていることがすぐ分かる。

 「神」にも「カム」という読み方があった。「神風の」といえば「伊勢」の枕詞だが、これは「かむかぜの」と読む。アイヌ語では「神」のことを「カムイ」というが、これはきわめて古い段階での日本語からの借用語だと考えられている。「神」の「ミ」が乙類であることはこれで納得していただけたと思うが、では、同じく甲類の「ミ」を持つ「上」と「髪」にはつながりがあるのだろうか? ここで「白髪」を「シラガ」と読むことを思い出していただきたい。「ガ」とにごるのは「フルダヌキ」と同様の連濁によるものなので、「髪」という言葉の古い形は「カ」であったと考えられる。 さらに、「網代(あじろ)」という地名や、「すずり」「うなばら」といった言葉を考えていただきたい。「すずり」が「炭摺り」であることは間違いないし、「うなばら」の「な」は現代語の「の」に当たる助詞なので「う」とは「海」のことである。このように、「ミ」を取り除いた形が古い形と考えられる言葉の例はほかにもあり、「髪」もその一例と考えられるのである。これに対して、「上」はこれ以上分解も変形もできないので、「髪」と「上」とのつながりはないと言えるのである。ところで、「木」の「コ」「キ」という二つの読み方はなぜあるのだろうか? 「コ」がより古い形で、「キ」はそれに甲類の「イ」があとからついたものということに異論を唱える学者はいない。それではこのあとからついた「イ」にはどのような意味があったのか、「髪」や「網」の「ミ」とはどう関連づけられるのか? これらの点については別稿(被覆形と露出形)に譲りたい。


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