已然形はどのようにして
仮定形となったか?
 学校で教えている日本語文法では、古語でも現代語でも活用形の名称は「未然、連用、終止、連体、命令」とほぼ共通である。しかし、古語の已然形は現代語では仮定形と呼ぶようになっている。このような違いはどのようにして生じたのであろうか。

 現代語では仮定形に「ば」のついた形は「聞けば」「見れば」という具合に仮定を表わす。しかし、古語の「聞けば」「見れば」などは仮定を表わさない別の形に訳さなければならない。「大江山いく野の道の遠ければ」の「遠ければ」なら、「遠いので」と訳す。条件を示すということでは現代語と同じだが、その条件が現代語のような仮定条件ではなく確定条件であるという違いがある。

 古語では仮定条件は已然形ではなく未然形に「ば」のついた形で表わしていた。そのような表現は、今も「急がば回れ」「毒食はば皿まで」「死なばもろとも」のように、諺や慣用句に残っている。これに対して「犬も歩けば棒に当たる」「立てば歩めの親心」「住めば都」などは、仮定条件ではなく確定条件を表わしている。「住めば都」はどんな田舎でも住み慣れたことで都と同じようになじむことができるようになったことを示している。つまり、その気になればどこにでも住めるという意味である。これを「住まば都」というと、「もし住むのなら都(がいい)」という意味となり、ことわざとは正反対の意味になってしまう。

 已然形に「ば」の代わりに「ど」がつくと、「待てど暮らせど」「武士は食はねど高楊枝」のように、逆接の確定条件となる。已然形には他に係助詞「こそ」の結びになったり、完了の助動詞「り」に続いたり(命令形に続いているのだという説もある)といった用法もあるが、いずれにせよ仮定を表す用法は無いのだから、仮定形と呼ぶことはできない。

 「已然」とは「すでにしかり」、つまり「もうそうなっている」という意味であり、「いまだしからず」、つまり「まだそうなっていない」という意味の「未然」と対をなす。そのことは、「聞けば」と「聞かば」を対比してみるとよく分かる。「ば」がつくことによって未然形も已然形も条件を示すことになるが、「もうそうなっている」ことを条件とすれば確定条件となり、「まだそうなっていない」ことを条件とすれば仮定条件となる。しかし、条件を示すことは共通しているので、この区別は次第に曖昧になり、未然形に「ば」がついた形は消滅して、已然形に「ば」がついた形が仮定の意味を担うことになった。それと並行して「ば」をつけて条件を示す以外の已然形の用法も廃れたので、「已然形」は「仮定形」と名を改めるほかなくなった。仮定なのであるから、「もうそうなっている」という意味の「已然形」という名称を用いるわけには行かなくなったのである。

 現代語では仮定を示す表現は、「~するなら」「~したなら」「~したのなら」など、きわめて多様である。「~すると」「~したら」も仮定を示すことがあるが、単独では条件を示すにとどまり、仮定であるか確定であるかは後続の表現によって決まる。「会えばいい奴だと分かるよ」「あの人に言ったら何とかしてくれるよ」というときは仮定であるが、「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」「図書館に行ったら休館日だった」というときは確定である。

 「なら」がついた表現は仮定を示すことが明瞭である。これは主として名詞についた古語の断定の助動詞「なり」の未然形に由来し、「人ならば」といえば、今も昔も「人であるならば」という仮定を示している。「なり」にも、已然形に「ば」のついた「なれば」という形が昔はあり、「京には見えぬ鳥なれば」というのは「京都では見かけない鳥なので」という意味であった。しかし、「なり」については、「なれば」という形のほうが消滅し、「ならば」という形がそのまま仮定を示す表現として今日に生き残った。もともとが仮定を示す表現なのだから、仮定を示すことが明瞭なのも当然のことである。

 これに対して、「聞けば」「見れば」のような、已然形から転じた仮定形は、必ずしも仮定を示さない場合もある。先に挙げた諺や慣用句の場合は、現代語ではなく古語の文法にのっとったものであるが、それ以外にも「知れば知るほど」のような一組の言い回しとして古語から受け継いだ表現がある。歌の歌詞となると、明治以降にできた歌であっても、古語的な表現をする場合があり、「お手々つないで野道を行けば」「窓を開ければ港が見える」「夏が来れば思い出す」の下線部などは仮定を示しているとは考えられない。だからといってこれを「~すると」とか「~したら」という表現にかえると歌詞としては魅力に欠けるものとなってしまう。しかし、こういった古語の残滓的な表現を除けば、今日の「仮定形+ば」の形はもっぱら仮定を示し、確定条件を示すことはないと考えていい。

 小島剛一氏は2012年にひつじ書房から刊行した「再構築した日本語文法」の中で、「仮定形+ば」の形について、「他の仮定形とほぼ同義になる文脈が多いためか、近年、話し言葉では使用頻度が下がっているようです」と述べているが、今日の多様な仮定表現の中で、この形の役割は終わりかかっていると考えることもできる。

 古語には、確定した事実に反することを仮定して結果を想像する「反実仮想」という複雑な仮定表現もあった。「鏡に色・形あらましかば映らざらまし」というのは、「鏡に色や形があったなら映らなかっただろうに」ということであるが、多様な仮定表現を持つ現代語ではこれも十分に表わすことができる。

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