切手に見る世界の言葉(その1)
ヨーロッパ編

マケドニア
ベラルーシ

 ヨーロッパ諸国で用いる文字はローマ字とキリル文字が多く、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ブルガリア、マケドニア、セルビア、モンテネグロではキリル文字が使われている。キリル文字とは、キュリロスとメトディオスという二人の修道僧(ちょうどマケドニアの切手に描かれている)が創案したものと言われているが、正しくは二人が創案した文字はグラゴル文字であり、これをギリシャ文字と折衷したものが今日のキリル文字となった。。そのため、Pが[p]ではなく、[r]の音を示す点などはギリシャ文字に似ている。 
この文字はスラブ語派の諸言語を表記する上では最適であり、[ts]や[t∫」が一字で示されるなど字の種類が多いので、系統の異なる言語にも応用が利く。たとえば、スラブ語派の言語には[i]という母音がついているかのような軟子音があり、硬子音と区別される。ベラルーシの切手にある国名の最後の一文字が前のC([s]音を示す)が軟子音であることを示している。ローマ字では硬子音と軟子音の違いは無視され、ベラルーシはBelarus、ロシアの大統領を務めたエリツィンはYeltsinと書かれる。

ポーランド ルーマニア

 しかし、スラブ語派の言語を話す地域でも、宗教的にローマン・カトリックの地域だったポーランド、チェコ、スロバキアではずっとローマ字が用いられてきた。スターリンにより無理やりソ連に編入されていたバルト三国も、すべてローマ字を用いる。言語は、ラトビアとリトアニアが印欧語族中のバルト語派の言語を話す。エストニアは、海をはさんで隣接するフィンランドと言語的に近く、ともに印欧語族ではなく、ウラル語族である。宗教面では、リトアニアがカトリック、ラトビアとエストニアがプロテスタントという、込み入った分布となっている。
 
 東欧にあっても、ラテン語派のルーマニア(国名自体「ローマ人の国」という意味)では1859年以来ローマ字を用いている。ソ連から独立したモルドバもソ連の支配下にあって1990年までキリル文字を用いていたが、言語はルーマニア(特にモルダビア地方)とほぼ同じで、国旗もルーマニアとそっくりである。しかし、ソ連時代に移住してきたロシア人が多数を占める地域が独立を宣言するなどで、ルーマニアとの合併は進まない。東欧の民族分布は錯綜しており、ルーマニアでも西部はハンガリー人の方が多い。最近「ルーマニア国立ハンガリー民族舞踊団」というのが来日して日本人を不思議がらせた。

ボスニア・ヘルツェゴビナ クロアチア
セルビア モンテネグロ

 しかし、なんといっても民族分布が錯綜していたのは旧ユーゴスラビアであった。チトーというカリスマ的指導者(他の東欧諸国と異なり、独自でドイツと戦い社会主義政権を樹立)が死に、社会主義が力を失うとたちまち空中分解したのも無理はない。北部のスロベニアとクロアチアは、カトリック地域でローマ字を用い、南部のセルビアとマケドニアはキリル文字を用いている。セルビア人とクロアチア人、そしてイスラム教徒が混在するボスニア・ヘルツェゴビナの切手ではローマ字が用いられているが、同国に住むセルビア人はセルビア語を話しキリル文字を用いている。モンテネグロ(ツルナゴーラ)では長く二つの文字が併用されてきたが、独立後はローマ字を用いることが決められた。なお、クロアチアでも古く14世紀以前にはキリル文字が用いられていた。

 イスラム教徒の存在はかつてのオスマン・トルコの支配の名残で、バルカン半島には今も少なからぬトルコ人がいる。バルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたのも、このような錯綜した民族分布が原因となっていた。ユーゴスラビアは「南スラブ人の国」という意味であり、その建前から、アルバニア人が大多数を占めるコソボは共和国とはされず自治州の扱いだった。アルバニア語は、印欧語族ではあるが、他のどの言語とも異なる独自の言語として分類されている。

グルジア アルメニア

 ヨーロッパは宗派の違いこそあれキリスト教徒が多いが、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、アルバニア、ブルガリアなどにはイスラム教徒も住み、アルバニアでは人口の7割をも占める。旧ソ連から分離したカフカス(コーカサス)三国では、グルジアとアルメニアが独自のキリスト教を信仰し、アゼルバイジャンがイスラム教である。グルジアとアルメニアでは独自の文字が用いられていることが切手からも分かる。アゼルバイジャンも便宜的にヨーロッパに入れられることが多いが、ここは明らかにトルコ語と同じテュルク語族の言語を話す民族であり、イランの北部にも同族が住んでいるので、ここからは外した。

ギリシャ

キプロス

 さらに、ローマ字でもキリル文字でもない文字としてギリシャ文字がある。ギリシャ文字は、古典を伝えるものとして西欧圏でも広く学ばれたが、日常用いるのは、ギリシャとキプロスしかない。キプロスの北部にはトルコ系の住民が多い。左の切手に見られるように、1974年までは、ギリシャ語のほか、トルコ語が英語とともに併記されていた。今では北部は「北キプロス・トルコ共和国」として独立を宣言しているが、トルコ以外の国から承認を受けていない。

 印欧語族とは明瞭に異なるウラル語族にはフィンランド語やエストニア語の他にハンガリー語がある。ハンガリー語では人名は日本と同じく、姓名の順で呼ばれる。かつてオーストリアが広く東欧を支配していたころ、数の多いスラブ民族と対抗するためにハンガリーを味方に引き入れようとして「オーストリア・ハンガリー二重帝国」をつくった後遺症からか、ハンガリー人とスラブ民族との仲はあまりよくない。

 西欧で印欧語族ではないのは、スペインとフランスの国境に分布し、スペインからの独立運動のあるバスク人の言語とアラビア語と同様セム語族に分類されるマルタ語だけである。

ベルギー スイス リヒテンシュタイン

 西欧で切手の国名表記の上で複雑な問題がうかがえるのは、まずベルギーとスイスである。ベルギーの切手に見られるBelgië(ベルヒエ)はフラマン語、Belgique(ベルジック)はフランス語による表記である。おおむね前者が北部、後者が南部と分かれているが、首都のブリュッセルは両者の混住地域で首都を示すスペリングも発音も少しずつ違う。その他の国内の地名もことごとく2言語によって呼び方が異なる。さらに狭いながらもドイツ語の地域もある。公用語が4つもあるスイスとなると、すべて併記するのは煩雑なので、死語となっていたラテン語の古名であるHelvetiaを掘り出してきて、それだけを表記している。なお、ドイツ語圏ではかつて独特のアルファベット(いわゆるヒゲ文字)が用いられた。右のリヒテンシュタインの切手にそれが見えるが、現在は使われていない。

イタリア バチカン アイスランド

 スペインでは、前述のバスク人のほか、バルセロナを中心とするカタロニア州にも独立運動がある。フランスとの国境にあるミニ国家アンドラはカタロニア語が公用語となっている唯一の国である。フランスでも南部の地域の言語はオック語または南仏語と呼ばれ、フランス語とは別言語とされる。このほか、スペイン国境付近にはバスク人、ブルターニュには先住のケルト語派のブルトン人がおり、ベルギーとの国境付近にはフラマン語、アルザス地方とロレーヌ地方の北部ではドイツ語に近いアルザス語やロレーヌ語、コルシカ(フランス語ではコルス)島ではイタリア語に近いコルシカ語を話す住民が多い。ルクセンブルクも王家がフランス系であるため、切手の国名表記はフランス語となっているが、多くの住民はゲルマン語派のルクセンブルク語やドイツ語をも話す。イギリスがイングランド以外に、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドからなる連合王国であることは広く知られている。イングランド以外の地域も今では英語が優勢となっているが、本来は英語とは異なるケルト語派の言語を話していた。切手には反映されていないが、民族分布は、ヨーロッパの西部でもかなり錯綜しているのである。そして、どの国もヨーロッパ内外からの移民を大量に受け入れており、民族問題について考えずに暮らすことはどこでもできない。

 ロシアの民族分布はきわめて多彩であり、これまで述べてきたのに匹敵する文章を書かなければならないほどで、ここでは詳しく述べるほどの紙幅はない。ソ連崩壊後生まれた国々のうち、ロシアだけは「連邦」を称し、その中に「自治共和国」「自治州」「民族管区」といったさまざまな民族に何らかの形で自治を認めるソ連時代以来の行政単位を包含している。ただ、そのヨーロッパ部分だけでも、トルコ語と同じテュルク語族の言語が多いこと、ウラル語族に属する言語も何種類かあることは指摘しておきたい。フィンランドやハンガリーは決して孤立した存在ではない。以下、これまでに挙げていない国々の切手を順不同で紹介する。

アンドラ ドイツ チェコ
フランス アルバニア モルドバ
フィンランド ルクセンブルク ロシア
イギリス オランダ ノルウェー
オーストリア サンマリノ スウェーデン
モナコ ラトビア マルタ
リトアニア スペイン アイルランド
ウクライナ スロベニア ブルガリア
ポルトガル デンマーク エストニア
 
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