「愛している」という言葉

 アメリカの映画やドラマを見ていると、たえず"I love you."という言葉が耳に入る。アメリカ人は三日も"I love you."と言わなければ、家庭が崩壊すると信じているかのようである。"I love you."は、一応「愛している」と訳せる。しかし、こんな言葉を一度でも交わしたことのある夫婦は、日本ではむしろ少数派であろう。こんな言葉を聞いて育った子供も少ないであろう。そのため、アメリカの映画やドラマを翻訳するとき、"I love you."をいちいち直訳していたのでは、うるさくてたまらない。ある映画の字幕で、出勤していく夫を妻が送り出すときに"I love you."と言うのを、「気をつけて」と訳しているのを見て、「うまい!」と思った。「愛」とか、「愛する」という言葉は、文学者にはむしろ嫌われる。そんな手垢にまみれた言葉など使わずに表現するのが腕の見せ所と考えているかのようである。こうして見てくると、「愛」とか「愛す」とかいう言葉が本当に日本語であるのかさえ、疑わしくなってくる。

 たしかに、「愛」という言葉は、もとは漢語(=中国語)である。しかし、日本語に入ってきたのは意外に古く、すでに万葉集にも現われている。「銀も金も玉も何せむにまされる宝、子にしかめやも」という反歌へと続く有名な山上憶良の長歌(瓜はめば子どもおもほゆ栗はめばましてしのはゆいづくよりきたりしものそまなかひにもとなかかりてやすいしなさね)の詞書にも、「誰かは子を愛せずあらめや」という形で現われてくる。しかし、「愛す」という言葉の用い方にはある偏りがあった。この詞書の場合も、「子を」とあるところがポイントである。日本語の「愛す」という言葉は、夫から妻へ、親から子へ、男から女への思いを示す言葉ではあっても、その逆ではなかった。つまり、「上」から「下」への思いを表す言葉であり、その意味で現代語の「かわいがる」に近い用法が多かった。今日でも、「愛妻」「愛児」「愛犬」「愛車」という言葉はあっても、「愛母」とか「愛夫」という言葉はない。「堤中納言物語」の「虫めづる姫君」にも、「この虫どもを朝夕にあいし給ふ」とあり、やはり「かわいがる」の意味である。平家物語の中に、いかに強い武者だといっても、大軍の中に二人だけでは大したことはないという文脈の中で、「よしよし、しばし愛せよ」と使われているのも、「適当にあしらう」という意味で、「かわいがる」と訳すことができる。「敬愛」という言葉も、このような「愛」の用例からすると、どこかおかしい。「敬」とは下から上、「愛」とは上から下への気持ちを示す言葉だからであり、「敬慕」というのが正しいと主張する人もいる。

 「愛す」は本来、一字漢語の「愛」に「す(→する)」のついたサ変動詞であったが、今日では「愛しない」より「愛さない」という言い方のほうが一般的であるように、五段動詞化している。しかし、一方で、「愛す人」とは言わず「愛する人」というのだから、五段動詞化は完全ではない。このような例は「介する」「略する」など、ほかにもあるが、「愛す」の場合は、古くからその用例が見られ、ときに「あひす」という誤った表記が行われたほど、やまとことば化していた。

 明治になると、「愛」には、loveやamourの訳語という、新たな意味が課せられた。しかし、「愛」だけでは、「かわいがる」という伝統的な意味との混乱を招きかねないので、「恋愛」という新語がわざわざ作られ大流行した。これは、「愛」という文字の価値がマイナスからプラスに転換したことを意味していた。

 それまでの「愛」という言葉には、「かわいがる」という意味のほかに、否定的な意味さえあった。それは、仏教語としての愛であり、これは、「執着」とか「煩悩」という言葉に近く、ひたすら否定の対象でしかなかった。親鸞の「教行信証」での「愛」は、「愛心つねにおこりて、よく善心を染汚す」と、まるで汚物のように扱われている。

 「恋愛」は、「愛」とともに、「恋」とも訣別するために造られた言葉である。「恋愛」を売り込もうとする人々は、古くから和歌に詠まれた「恋」を肉欲のからんだ価値の低いものとして貶めようとした。確かに、「あひみてののちの心に比ぶれば昔はものを思はざりけり」というのは、「一夜をともにしてからそれ以前とは比較にならないほどあの人のことが忘れられなくなった」ということだから、こういう評価にもうなずけるところはあるし、何事も舶来上等と見なされた明治の雰囲気に照らせば無理もないと思うところは多い。しかし、一方で、和歌には、「忍ぶ恋」を詠んだものも非常に多い。「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」と「忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」とは、同じく「忍ぶ恋」をテーマとして歌合せで優劣を争った歌であるし、「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」という歌もある。

 明治の「恋愛」の伝道師たちが、「恋愛」の優れたところとして売り込んだのは、その精神性である。いわゆるプラトニック・ラブ(本来は男の同性愛のこと)である。「恋愛」は異性を遥かかなたに置くことによってこそ成立する。行為が伴わないのだから、おのずから精神的なものにならざるをえない。「忍ぶ恋」も十分に精神性の強いものだと思うのだが、「恋愛」がこれと違うのは、それに"I love you.","Je t'aime.","Ich liebe dich."といった「告白」への道が開けていたことである。キリスト教文化圏では個人は神と対峙する。そこに司祭が中に入って罪の告白という道が開かれていた。そして、女性であるマリアが、しばしば神自身よりも告白の相手とされていた。そのようなことを考えれば、「恋愛」という思想には、キリスト教が浅からずからんでいることが分かる。そう考えてみると、”日本人はなぜ「愛している」と言わないのか?”と問うのではなく、”ヨーロッパ人はなぜ「愛している」と言うのか?"と問うほうが自然のようにも思われてくる。「恋愛」とは、ある一時期にヨーロッパにおいて成立した男女関係のあり方なのであって、決して普遍的なものではない。日本人にとって、「愛」とは何気ない言葉や仕種から感じ取ったり感じ取らせたりするものであって、そのまま口に出して言ったり言わせたりするのは「野暮」なのであり、「みっともないことをしたくない」という日本人の美意識に反するのである。

 「恋愛」の伝道師たちの必死の努力にもかかわらず、近代日本において「恋愛」は定着することはできなかった。観念として熱っぽく語ることは許されても、それを実践に移すことは歓迎されなかった。「恋愛」は前途有為な若者をだめにする魔物として、「結核」「文学」「社会主義」と並び称されていた。そして、世間の圧力を押し切って恋愛を実践した若者たちの多くが挫折をしていった。この地球上に無数にいる異性のたった一人をかけがえのないものと感じる気持ちは誰にでも生じるものとは限らない。言い換えれば求めて得られるものではないのである。だからこそ、「ロミオとジュリエット」にせよ、近松の心中物にせよ、思いを阻むさまざまな条件を設定しないと恋愛ドラマはなかなか成立しない。

 そして、現代の日本では、異性に関心を抱き、それを実践することへの世間の圧迫は、戦前よりはるかに緩やかなものとなっている。そのために、「恋愛」が成立する条件はむしろますます少なくなっているのではないだろうか? 文明の利器もさまざまに発達し、特定の異性への「愛着」はますます薄くなり、明治の先人の夢見た「恋愛」は、ますます遠い昔話になっているようだ。


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