枕詞について 

 枕詞ということばがある。「たらちねの」は「母」、「ぬばたまの」は「夜」という具合なのだが、地名にかかることもある。「みすずかる」は「信濃」、「かみ(む)かぜの」は「伊勢」という具合である。

 枕詞が本体を乗っ取ってしまうこともある。古都として名高い奈良県の「あすか」村は「明日香」と書いているが、一般的には「飛鳥」の字で知られている。これは「とぶとりの」という枕詞の漢字表記が地名本体の表記に転用された例である。奈良県には「泊瀬」という地名がある。これで「はつせ」と読む。「泊つ(はつ)」は「泊まる」という意味の古語であり、「瀬」は「淵(渕)」の反対で川の浅い部分をさす。瀬は船着場にしやすいので、この場合「瀬」はおそらく「船着場」という意味であろう。「泊瀬」は、長い渓谷の中にあるので、その枕詞は「ながたにの」であった。「はつせ」が「はっせ」をへて「はせ」となった一方で、枕詞を示す漢字表記「長谷」が地名自体に適用されるようになった。

 枕詞は、おそらく世界のどこにでもあった「言霊(ことだま)」信仰の名残りであろう。本居宣長は日本を「ことだまのさきはふくに」と評したが、いい言葉をきけばいいことが起こり、いやな言葉をきけばいやなことが起こると思うのは何も日本人に限らない。受験生を抱えた家庭では「すべる」とか「おちる」とかいう言葉を慎むというが、本当にそうする両親はどれほどいるのだろうか?

 地名にかかる枕詞は時代とともに忘れられていく。たとえば「奈良」の枕詞が「あをによし」だということすら忘れられている。「あを」は「青」だが、「に」は「丹」であって「赤」を意味する。赤といってもペンキのような原色の赤ではなく、奈良や京都の古寺の柱を彩る渋みのある赤である。ペンキの赤でも微妙な色の違いがあり、消防車と全く同じ赤で一般の車を塗ることは禁じられているという話を聞いたことがある。「あをによし」とは、古都奈良が色彩ゆたかな都だということを意味している。

 「明石」の枕詞は何だろうか? 明石とはそこの時刻が日本の標準時とされる兵庫県の明石市のことである。明石に住んでいる生徒さえこれに答えられない。受けを狙った生徒など「たこやきの」と答えるのであるが、正解は「ともしびの」である。「あかし」とは「あかるい」ということなので、それを導き出すために「ともしびの」としたというのが通説であるが、狭くて(だからこそ橋がかけられる!)潮流の速い明石海峡を通過するときには、両岸の民家のともしびが印象的だったせいもあるのだろうという別の解釈をしたくなってくる。

 さて、「たこやきの」の意味は関西に住まない人にどれほど通じただろうか? 関西では一般に「たこやき」は「あかしやき」という。「おでん」は最近まで「かんとうだき(関東煮)」と呼ばれていた。「たこやき」の発祥地は明石である。太平洋と瀬戸内海の間の狭い海峡にある明石はタイやタコ、イカナゴやアナゴなどのよい漁場として昔から知られていた。

 関西人の間では「たこやき」と「あかしやき」の違いがよく議論の的になる。私は関東からの移住者であるのでよく分からないのだが、一般に「あかしやき」というと「たこやき」より大粒で、しかもスープの中に入っているというイメージをもっている。水餃子のような感じに近い。しかし、「たこやき」も「明石焼き」もまったく同じ意味だという関西人も多い。

 明石海峡には、いま世界最大の吊り橋である明石大橋がかかっている。藤原定家が「こぬひとをまつほのうらのゆふなぎにやくやもしほのみもこがれつつ」と歌った「まつほ」という地名は明石大橋の淡路島側の入り口にあり、大きな休憩所がある。「あはぢしまかよふちどりのなくこゑにいくよねざめぬすまのせきもり」の歌で知られる神戸市須磨区には「関守町」という町もある。歌に歌われたような自然そのままの所ではすでになくなっているのだが、人工の要素も加えていまだにけっこう景色のよい土地ではある      

 最後に柿本人麻呂の歌を一つ。明石には柿本神社があり、近くに「人丸前」という電車の駅もある。
 留火之 明大門爾 入日哉 榜将別 家当不見
ともしびの あかしおほとに いらむひやこぎわかれなむ いへのあたりみず

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