比喩はただの飾りか?

 比喩はただの言葉の飾りではない。比喩により言いたいことが正確に分かりやすく伝わることは多い。「豪邸」と聞いただけで思い浮かべるイメージは人によって違うだろう。それを「お城のような家」といえば、日ごろ見かける程度の豪邸ではないことが瞬時に伝わる。激しく運動したときには汗をかく。その汗を「滝のような汗」ということによって、汗をかく人の息遣いまで聞こえてくるような気がする。

 「~のような」「~みたいな」という形で比喩であることを明瞭にした比喩を直喩(明喩)という。これに対して比喩であることを明示しない比喩を隠喩(暗喩)という。パソコンでは「マウス」を使う。姿が小型のネズミに似ているからである。新しい事物が登場したとき、冗長で説明的な表現をするより、隠喩によって簡潔に表現するほうが明快な場合も多い。血も涙もない人を「鬼のような人」という表現を用いずに単に「鬼」と呼ぶのも隠喩である。大人たちがその人を「鬼、鬼」と呼んでいると、小さい子供は、ほんとうに鬼なのだと思ってしまうかも知れない。そういえば、「血も涙もない」というのも比喩である。

 杉田久女の「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」という俳句を考えてみよう。「はなごろも」とは花見のときに着る服のことだが、和服はひもが多い。花見を終えて服をぬぐときにひもが多くて着替えが面倒だという意味だけでは俳句にならない。「ひも」とは女性であることにまつわるさまざまな制約、しがらみの比喩である。比喩には、このように抽象的なことを具体的なものに喩える手法もある。

 詩人は、比喩をとくに上手に使いこなす。しかし、われわれの身近にも人にあだ名をつける名人がいるように、比喩は、意識しているかどうかは別にして、誰もが用いている。多くの人に長い間つかわれ続けた比喩は、もう比喩であることにさえ気づかれない。とくに多いのは人体の一部を用いた比喩である。「机の脚」「台風の目」「パンの耳」「カセットテープの爪」など、あげていけば切りがない。

 馬に乗るときの鞍(くら)を英語で何と言うだろう? わらはどうだろう? 答えはそれぞれsaddle(サドル)であり、straw(ストロー)である。即答できなかった人でも、答を聞けばすぐに納得するだろう。自転車のサドルと馬の鞍とは同じものではない。自転車が発明されたとき、腰を下ろす部分を、誰かがそれまで知っていた鞍にたとえることによって、saddleという言葉は意味をひろげたのである。

 「もの」と「ことば」とは本来はまったく無縁であり、「もの」を「ことば」に結びつけるのは「ひと」である。それまで見たこともない「もの」を「ことば」で表現するとき、「ひと」は、「もの」を自分の知っている「ことば」にたとえている。そして、このような比喩を組み合わせて、複雑な内容をも表現することができる。表現するということは、「ことばでいうならこのことば」というふうに、「もの」(あるいは「こと」)を「ことば」にたとえる能力のことなのだから、表現力とは、比喩の能力だといっても過言ではない。最近、「切れる(怒る)」、「はまる(熱中する)」、「かたまる(途方にくれる)」といった表現が流行っているが、こういう新しい表現をむやみに非難すべきではない。若者の間でこのような表現が流行るのは、若者たちの表現力(=比喩の能力)が衰えていないことを示す証だからである。

 多くの「ひと」が「ことば」をさまざまな「もの」をたとえるのに用いるということが重なるにつれ、「ことば」は多くの「もの」を表すことができるようになった。そういう中で、意味がずれてくる「ことば」も生じる。意味とは、ここでは「そのことばでたとえられるものの範囲」とでも理解していただきたい。「くはし(→くわしい)」という言葉は、本来は「美しい」という意味であった。万葉集で「くはしめ」というと美女のことである。美の中でもとくに繊細な美に対して用いられることばであった。しかし、繊細なものでありさえすれば、とくに美しいと感じなくても「くはし」と表現する人が増えるにつれ、この語の意味は変わり、今の「くわしい」ということばには美という要素は残っていない。わずかに、「かぐわしい」という複合語に昔の意味の痕跡を残しているだけである。

 比喩は単に個々の語に関するものではない。「君の論文は穴だらけだ」という教授は、論文を建物にたとえているのだし、「ジャイアンツが反撃に出た」と放送するアナウンサーは、野球を戦争にたとえている。これらは、人間が事態全体をどのようなものとしてとらえているかを示している。比喩は、単なる気取りや言葉の飾りではなく、言語の本質だとまでいうこともできるのである。「あの人は鬼だ」という表現は、「あの人は鬼のような人だ」という表現の省略でもないし、「あの人は情け容赦がない」ということの言い換えでもない。比喩によってしか表現できないとらえ方を表現しているのである。


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