実際に教室でよくあることだが、たとえば黒板に「比喩」という文字を書く。ただし、「喩」の字のつくりを「輸」の字のつくりと同じく最後の2画を「りっとう」で書く。すると、必ずといってよいほど、教科書と見比べて字が間違っているのではないかと言ってくる生徒がいる。これは、戦後の文字改革がもたらした新しい混乱である。「喩」も「輸」も本来つくりは同じで「喩」のつくりのように書いた。それが、戦後、「輸」は当用漢字とされ、「喩」はそれから外された結果、こういう混乱が起きたのである。「喩」はあってはならない文字なのだから、「輸」のように新しい字形に改められることはなく、どうしても使う場合には昔通りに印刷されるのである。 日本の場合は、かなというものがあるため、「比喩」と書かずに「比ゆ」と書くという方法があった。しかし、漢字だけで言語が表記される中国では同じ偏旁をもつ文字はすべて新字体(簡体字)にそろって改められたので、このような混乱は避けられている。中国では、当初すべての漢字を十画以内にすることが目標とされ、段階的に新たな簡体字が発表された。それがスムースに広まったのは、実は識字率が低かったからである。字を知っている人が多くなれば、新字体への抵抗も強くなるのは当然のことで、そのため、「私」を「ム」、「雪」を「ヨ」とするなどの改革案が撤回されたのを最後に中国の簡体字化の歩みも止まっている。日本でも、「当用漢字」は枠をひろげて「常用漢字」と名を改めている。「当用漢字」が「これ以外は使ってはならない」という「きまり」的な要素が強かったのに対して、「常用漢字」は「この範囲で漢字を用いるのが望ましい」という「めやす」的な性格のものとなっている。
むやみに難解な漢字漢語を用いた戦前の教育への反省が文字改革の第一の原動力となったことは、今も忘れてはならないことであるが、その次に原動力となったのは、「漢字のような複雑な文字を使っているから経済成長が遅れるのだ」という考え方であった。しかし、これには多分にアルファベットを使う欧米人の思い込みが入っている。今にして思えば、経済成長の遅れと漢字とを結びつける議論は、実はきわめて根拠薄弱なものであった。日本が高度成長をとげ、あとを追うように漢字文化圏の高度成長が続いている今日、このような議論は影をひそめている。また、タイプライターが使えないなどという議論もあったが、今日ではタイプライター自体が時代おくれなものとなり、情報技術が日進月歩するにつれ、こういう意味での漢字のハンディは急速に解消されている。むしろ、漢字を取りこもうとする努力が情報技術の進歩を推進してきたといってよい。 私は、「比ゆ」のような混ぜ書きには反対である。日本語の場合、文の骨格をなす語は漢字、「てにをは」などは仮名という書き分けがなされていることで、文章の意味をすばやく読み取ることが可能になっている。必要な場合はルビを振ればいいことであって、混ぜ書きは避けたほうがいい。最近近所で「心の悪ま追い出そう」という評語をよく見るのだが、これなど「あくま」か「悪魔」のどちらかにすべきである。「魔」というインパクトの強い文字は、小さな子供でもけっこう知っているのであるが、この評語を書いた人は、字画が多いというだけの理由で「魔」の字を避けたのではないだろうか? 日本の文字改革は、ローマ字化をも視野に入れていたアメリカ占領軍の意向を受けて始まった。しかし、その前に日本人の読み書き能力をテストしたところがアメリカの偉いところである。このテストに直接携わった金田一春彦氏の『日本語』(岩波新書)にそのころの事情がくわしく書かれている。全国一斉に同じ日に無作為で抽出した人を集めてテストをするのであるが、当時は米軍の命令が絶対の時代だったので、ほとんどの人がこれを受けた。金田一氏の分担した班で一人だけおばあさんが欠席していたので、わざわざ呼びに行ったところ、小学校にもほとんど行っていない人で、「私のような者が受けては天皇陛下に申し訳ない。代わりに娘を」と言い、娘もそのつもりで身支度を始めていたというから、まるで人身御供である。それではテストの意味がないのだということで説得され、しぶしぶこのテストを受けたこのおばあさんも自分の「はな」という名前に使われているかなは読めたので、100点満点で5点はとれたという。こうして得られた識字率は占領軍を驚嘆させるほど高く、アメリカはそれ以上ローマ字化などを口にすることはなくなった。日本の識字率は、欧米などに比べると実は古くからかなり高いものだった。江戸時代に寺子屋で学んだ人が特に富裕な層に限られていたわけではなく、明治に日本に来た欧米人は人力車夫が客待ちをしながら本を読んでいるのに驚嘆している。 一般に識字率の低い東南アジアの山地民族の中で、中国にも住むヤオ族など漢字文化の影響の強い民族は、村ごとに漢文の先生がいる。タイの政府がヤオ族の村に学校を作ったところ、初めのうちこそどっと生徒が集まったものの、たちまちみんな来なくなったという。「ちっとも漢字を教えないじゃないか」というのがその理由であった。他の山地民族の場合、学校というものの意義を一生懸命説明して回らなければならなかったのとはだいぶ事情が違う。文字が意味を通じて教養に直結している漢字文化圏ならではの現象である。なお、識字率のきわめて高い日本にも字を読めない人は少数いた。その大半が厳しい差別下にあった人たちで、今日も識字活動は続いている。少数だからこそ深刻な問題なのだということも忘れてはならないが、これは社会の問題であって、文字の問題ではない。 戦後の文字改革は、拙速に行われたがゆえにさまざまな不合理を含むものだった。しかし、むやみやたらに難しい漢語を用いる習慣がなくなったのは文字改革の功績であろう。そのマイナス面だけを取り上げて、文字表記を戦前にもどすのにも、私は反対である。すっかり定着した新字体と新かなづかいを元にもどすことに要するエネルギーの膨大さに見合うだけの利点があるとはとても思えない。私は、何事も漢字表記の利点を生かす方向で考えるべきだという立場であり、その立場から見れば、これ以上のいらぬ改革をするにせよ、無理な復古を図るにせよ、無用な混乱を生み、漢字表記の利点を生かすという最も大事な課題を見失わせるという点では同じ結果にしかならないと思う。また、文字に対する見方が政治的立場と直結して考えられることが多いが、これは実におかしな話で、まるで別個のものとして考えた方がいい。 |