「ん」で始まる言葉
 学生時代、「ん」という喫茶店に入ったことがある。なんでこんな名前にしたのかとあるじに聞くと、電話帳の最後に載せたかったというのがその答であった。短い期間に急成長した企業に「アート引越しセンター」というのがあるが、こちらは電話帳の最初に載せたかったということである。これに対しては、「アーク引越しセンター」とでもつければ、それよりも前に出られるが、「ん」よりあとに来る名前を考えるのは容易ではない。「ん」で始まる言葉ってあるのだろうか?

 世界地図をひろげてアフリカを見てみよう。チャドという国の首都は「ンジャメナ」という。スワジランドという国の首都は「ムババネ」と書かれているが、現地の発音では「ンーババーン」に近い。タンザニアには野生動物の聖域として有名なンゴロンゴロ自然保護区がある。

 アフリカの諸言語では「ん」で始まる言葉は珍しくない。有名なキリマンジャロという山の名前も、「キリマ・ンジャロ」と区切るらしい。日本語にも「ん」で始まる発音はある。いくら何でも信じられない話を聞いたとき、「んなことあるわけないだろ」と言うし、「ん万円」などという表現もある。「ん」は単独でも伸ばせる音である。英語のアルファベットでの子音字の読み方は「B」や「C」のように「イー」で終わるのが普通だが、F、L、M、N、Sの五つに限っては(昔はRも)「エ+子音」という構成となっている。この五つの示す子音はいずれも子音のままでも伸ばそうと思えば伸ばせる音である。だから、はじめは「Fー」「Lー」というふうに読まれていたものらしい。だから、NやMのような鼻音は言葉の最初にきても少しもおかしくない音なのである。

 日本語でも「んなことあるわけない」「ん十万円」のように、語頭に「ん」が現れることがある。これは最近になってあらわれた現象ではなく、「馬」「梅」を示す「むま」「むめ」という古い表記は、「んま」「んめ」といった発音を示したものと考えられている。しかし、アフリカの言語ほどに頻繁に現れるわけではないので、「ん」が独自の音韻として認識されるまでに時間がかかり、日本語の音を表記する上で無視されることが多かった。「あ」「す」「に」「て」というひらがなのもとは順に「安」「寸」「仁」「天」と考えられている。「ん」という文字ができたのは、漢語の影響で語の「ん」の音が著しく増えてからのことである。

 日本語の「ん」の発音はさまざまである。それぞれ英語でいうのなら、「さんま」の「ん」は「m(唇が閉じる)」、「あんた」の「ん」は「n(舌先が歯の裏につく)」、「けんか」の「ん」は「ng(舌が宙に浮く)」なのだが、これだけですむほど日本語の「ん」はなまやさしいものではない。英語でpondsというときの「ん」は明瞭にnなのだが、日本語で「ぽん酢」というときの「ん」は「N」ではない。鼻をつまんで「あんた」といってみよう。「ん」にあたるところで息がつまって、耳に空気が抜けるような感じがしないだろうか? つぎにやはり鼻をつまんで「ぽん酢」といってみよう。こんどはさほど息がつまる感じがなく、舌先から音がぬけていく感じで、むしろ「ぽづづ」というような発音にはならないだろうか? 「ん」のあとに母音がきたときはどうだろう? 鼻をつまんで「恋愛」「婚姻」といってみよう。「れああい」「こいいん」と聞こえないだろうか? 母音の前の日本語の「ん」はフランス語によくある鼻にぬく母音なのである。

 「ん」には、つぎの音を出す構えをして声を鼻にぬくという共通点がある。それが実際どういう音になるかは、あとに続く音によってさまざまで、音自体としては一定していない。次にくる音によって自動的にどういう音になるかが決まっているため、日本人は同じ「ん」だと思っているだけの話である。英語では、こういうことがないので、somedayとSundayの発音を間違えると話が通じなくなる。アフリカの諸言語の場合も、次に来る音によって「ん」の音が自動的に決まるということはなく、mtoto(子供)のような例もある。語頭の母音の日本語表記はマラソンの「ヌデレバ」選手、南アフリカの「ムベキ」大統領のように書かれることが多いが、「ンデレバ」「ンベキ」と書いたほうが自然と原音に近い発音になる。実際に聞くときには、ほとんど「デレバ」「ベキ」としか聞こえないだろう。欧米では前に「エ」の音をつけることが多い。ガーナの初代大統領だったエンクルマ(Kwame Nkruma、右の切手の人物))、サッカーのカメルーン代表でJリーグでも活躍したエムボマがその例である。

 日本人は「あん」という語を二文字と感じている。しかし、「あ」と言ってから「ん」と言っているわけではない。一息に「あん」と言っているはずである。一息に発音される音のまとまりを「音節」という。「あん」は一音節として発音されている。日本語には「音節」のほかに「拍(はく)」という概念がある。拍は原則として同じ長さでなければならない。「かきくへばかねがなるなりほふりうじ」、字数で数えるなら576、音節で数えるなら(以下、現代仮名遣い)「ほう」と「りゅう」はそれぞれ一息で発音されているから573となり、どっちにしろ俳句の定型からは外れる。しかし、日本人はこれはきちんと575を守った句として受け取る。その同じ長さとして受け取られる部分がが「拍」だといえば分かりやすいのではないかと思う。日本語の七五調や五七調は、同じ長さの単位としての「拍」の存在を前提としている。英語など、強弱アクセントの言語を話す人の場合、強めた母音はどうしても長くなるので、各音節を同じ長さで発するというのがなかなか難しく、「長崎」は「ナガサーキ」というような具合になる。

 日本語の「ん(撥音、はねる音)には、さまざまな音が含まれる。これが等しく「ん」というかなで表されるのは、日本人が無意識のうちに、さまざまな音の変異を一種類の音としてとらえているからである。したがって音声としてはさまざまでも、「ん」は日本語ではひとつの音韻である。ところで、「ん」を「ん」だけで発音することは容易だが、「ばった」の「っ」をそれだけで発音してみろといわれたら困るであろう。「っ(促音、つまる音)」とは、次の発音の構えをして一拍分声をとめるという不思議な音韻である。声をとめているのだから、それだけで発音できるわけがない。はねる音、つまる音に、「ほーりゅーじ」の「-」のような「引く音(長音)」を加えた三つを「待機音節」というが、むしろ「待機拍」といったほうがいい。「ほー」も「りゅー」も一息で発音されているが、日本人には「ほ・-・りゅ・-・じ」で五拍ととらえられている。「りゅ」のような拗音も二文字になっているが、これは表記上のことで、二文字で一拍であることに異議はないと思う。

 「ん」は促音や長音と違ってそれだけで十分一音節を形成しうる(英語の例で言えばseasonのn)音なので、語頭に立つこともできる。しかし、「ん」で始まる言葉は日本語ではきわめて少なく、少ない事例も砕けた口語的な表現に限られている。「ん」で始まる言葉が無いという印象がうまれるのもそのためである。

ナイロビの高層ビルをバックに草をはむシマウマ。Watoto Wote KARIBUNI(こどもたち、みんなおいで!)より許可を得て転載。

 アフリカに触れたついでに余談となるが、左の写真では、ケニアの首都ナイロビの高層ビル群を霞んだ遠景として、シマウマが草を食んでいる。なんともシュールな印象を受ける。旅行会社のちらしなどには載りそうもない。シュールとは超自然的という意味で用いており、現実にはありえないものを描く画風をさすシュールレアリスムから来たものだが、実は今のアフリカでは、旅行会社のちらしにあるような光景こそシュールであり、私がシュールと感じたこの映像こそ現実なのかも知れない。ナイロビはサハラ以南のアフリカを代表する近代都市として知られている。ただ、これは、一面の自然の中に大都市が浮かんでいるのではない。大都市の近くに、自然保護区がつくられているだけのことであり、現代のアフリカは、動物王国でなくなってすでに久しいのである。

アフリカ関係おすすめサイト
Africa
想い出部屋
アフリカに魅せられた日本人女性nyamburraさんのサイト。
上記Watoto Wote KARIBUNI は、その子供版。
タンザニア
の絵
「ティンガティンガ」と呼ばれる鮮やかな絵を
紹介しているたいへん美しいサイト。
アフリカ
案内
マラウィを中心に主にアフリカ東・南部の
生活を写真をまじえて紹介。
Kpanlogo
Club
アフリカの打楽器についてのサイト。ガーナの布地
ケンテ(背景の布地)の提供も頂いた。

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