私が若いころ、「ケメ子の唄」というコミカル・ソングが流行っていた。「キミ子」といえば何もおかしくないのに、「ケメ子」だとなぜおかしいのであろうか? おそらく、これは、「エ」という母音が日本語に生じたのが比較的新しく、今も他の母音に比べるとずっと数が少ないためであろう。「エ」段の音は、語頭においてはいっそう少ない。苗字にしても、「遠藤」のような音読みの苗字を別とすれば、「エ」段で始まる苗字は、他の段に比べ格段に少なく、「江」「瀬」「関」「手」「寺」「根」「目」以外の字で始まるのは珍しい。とくに、「ケ」「ヘ」で始まる苗字は珍しく、あっても「剣持」や「辺見」など、音読みがからむ苗字が多い。 この問題を単に、たとえば「さか」が「さけ」の古い形だといってしまえば、話は先に進まない。「イ」をわざわざつけたのには理由があるはずである。ここで、いま挙げた例がいずれも複合語のはじめの要素であることに注目されたい。「酒屋」を「さかや」とはいうが、「甘酒」を「あまざか」とは言わない。「白髪(しらが)」のように複合語のあとのほうの要素になるのは例外に属する。ここで、「被覆形」と「露出形」という言葉を覚えていただきたい。「さか」のように「イ」がつく前の語形を被覆形、「イ」がついて母音が変化した語形を露出形という。この二つには音ばかりでなく、文法的な性格がはっきり決まっているかどうかという違いもある。「甘酒」の「甘」は形容詞の語幹である。形容詞の語幹は「甘が」のようにそのままで助詞をともなうことはできず、名詞であることを明示する「さ」をつけて「甘さ」としなければならない。この「さ」のような役割を演じたのが、被覆形につけられた「イ」であったようだ。 「飴」や「岳」は、「甘」や「高」からこうして生じたのである。「金物」の「かな」を英語に訳すには、metalとするよりmetalicとする方が適当であろう。奈良時代には「大きいのがいいな」の「の」と同じような役割を演じた「い」という名詞があり、現代語の「あるいは」にもその痕跡が残っている。「イ」はそれが名詞をつくる接尾語となったものだと考えてよい。このようなことを踏まえると、「泣く」や「鳴る」の「な」を「音(ね)」に関連づけられるようになる(「ねをなく」という表現もあった)し、「鏡」が「影見」であることも分かってくる。 「イ」を被覆形に直接つける代りに間に子音を挿入するという方法もあった。挿入される子音はm,s,r,tなどさまざまで、mの場合は「カ→カミ」などの例を、すでに見てきた。s、r、tの例としては、「端数、足掻く、鳥羽、医師(くすし)、形(かた)」などが「シ、リ、チ」のない被覆形の例となる。また、被覆形の最後の母音に「イ」がとって代るという例もあり、「奥」と「沖」の関係などがその例とされる。万葉集で愛する女性のことを「わぎもこ(我妹子)」とよぶのと同じである。当時の日本語には母音が連続するのをきらってどちらかの母音を落とす例が多い。明石(あかし)もその例だし、河内からは「かはち→かわち」と「かふち→かうち→こうち」という二つの形ができた。このほか、日本語で母音がよく交替した名残は現代語にも見られる。「こよみ」の「こ」と「よっか」の「か」のように「ア」と「オ」が交替する例、「はたち」と「はつか」のように「ア」と「ウ」が交替する例もある。「かつぐ」の「かつ」は「かた(肩)」の変化した形であろう。 |