世界史の教科書を書き直そう

自国出土のローマ風モザイクを描いたチュニジアの切手

 西欧人の書く歴史では、ギリシャ・ローマの古典文化が栄えた古代、暗黒の中世、光の再生としてのルネサンスに始まる輝かしい近代という具合に、過去を三分割して描くことが一般的である。しかし、ここで疑問が生じる。ギリシャ、ローマは確かに今日ヨーロッパと称する半島にある。しかし、近代ヨーロッパの中心地である英独仏といった地域は、古代ギリシャ人が「バルバロイ(蛮人)」と呼んだ異民族の住む土地であり、そこに住む西欧人はその子孫であるはずである。そして、ローマを中心とするイタリアはともかくとして、ギリシャはその後、西欧とは別のビザンツ世界に属し、ついで久しくオスマン・トルコの支配下にあった。そのため、「中世」になると、西欧人の書く歴史にギリシャが登場することはほとんどない。ギリシャが久しぶりに歴史に顔を出すのは、ようやく19世紀になってトルコからの独立戦争が起こり、イギリスの詩人バイロンが義勇兵としてそれに参加するときになったときのことである。今日の西欧の言語にはギリシャ語からの借用語が多いが、その多くはルネサンス以後に取り入れられた比較的新しいものである。

 古代ギリシャ彫刻の初期のものを見ると、エジプトの彫刻によく似ている。古代ローマの遺跡とよく似た遺跡は、地中海を挟んだ北アフリカに多く分布している。古代ローマの繁栄を支えた物資の大半は、船による大量輸送で北アフリカからやってきた。ロバの背に乗ってアルプス以北から運ばれた物資は、それに比べればほとんど取るに足らない。古代ギリシャ・ローマの文明は、地中海を囲んで栄えた文明の一環であり、アルプス以北のヨーロッパとはまるで別の文化圏に属していた。それにもかかわらず、西欧人がそれを自分たちの歴史の始まりとするのは、これを加えなければ、西欧はルネサンスにいたるまで、ずっと暗黒時代ということになってしまい、彼らの自尊心からして耐えがたかったからである。しかし、それは、日本人が中国の殷周文明を自分たちの文化の始まりだと称するのと同じようなまやかしである。都合のよいところだけ利用しているのだから、ギリシャがその後長く西欧人の書く歴史に登場しないのも無理はない。エジプトにしても同じことで、ファラオの時代のあとは、ナポレオンの遠征のときまで出てこない。大学で用いる教科書や専門書には、西欧以外にも目を向けたものもあるが、中高生の用いる教科書など、西欧で一般的な歴史とはこのようなものである。

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左は中国蘇州の虎丘塔(961年建設。47.5m)
右はピサの斜塔(1173年建設。58.6m)

 キリスト教会が東西に分裂してから、ローマに本拠地をおいたカトリックを西欧は受け入れることになった。こうしてイタリアは西欧との結びつきを強めたが、地中海に突き出したイタリア半島は、東方の文化を吸収する上で、西欧の中で最も有利な位置にあり続けた。コンスタンティノープル(今日のトルコのイスタンブール)を中心とするビザンツ世界やイスラム世界は、貧しい西欧とはかけ離れた豊かな土地として、あこがれの的であり続けた。冷涼なヨーロッパでは、土地の生産性は低く、家畜の飼育に多くを頼った。ヨーロッパ人はその歴史の原点において、農耕民というよりはむしろ牧畜民であった。

 意外と思われるかも知れないが、古代ギリシャの思想や文学を伝えつづけたのは、西欧ではなく、イスラム世界であった。古代ギリシャの文献をイスラム世界の学者の注釈で読むことからイタリアのルネサンスは始まった。そのアルプス以北への波及をも今日ではルネサンス(再生)といっているが、それは再生というより、むしろ開化というのがふさわしい。英語のsugar,cotton,alchol,magazine,algebra(代数学),chemistry(化学)などの言葉がアラビア語起源であることは、地中海から伝わった文化がアルプス以北にまで広がったことを示している。

 イスラム世界を経てさらに遠い中国の文明も伝わった。紙やルネサンスの三大発明とされる火薬・羅針盤・活版印刷はすべて中国起源である。金属活字による印刷が世界で最初に行われたのは、高麗時代の朝鮮半島においてであり、グーテンベルクより200年も早い。ただ、文字の種類の多い漢字文化圏では一字一字を活字にするより、ページ全体を彫る方が実用的だったため、活字は定着しなかった。西欧に伝わった東方の発明の中で、西欧の抬頭に最も力のあったのは火薬であったろう。多くの小国がしのぎを削るヨーロッパで火薬はどこよりも珍重され、強力な武器をつぎつぎと生み出した。その武力によってヨーロッパは世界を制覇し、植民地から得た富を基盤に起こった産業革命により、短期間に高度経済成長を遂げ、文化を発展させることができたのである。

 大航海時代は、今日の西欧の優位からさかのぼってみると、大きな意味があるが、そのころからヨーロッパが圧倒的な優位に立っていたわけではない。ヨーロッパ人が新天地を求めるのに必死になったのは、逆に当時のヨーロッパがまだ貧しい半島だったからでもある。最近、日本でもベストセラーとなったポール・ケネディ氏の『大国の興亡』によれば、西暦1800年の時点で世界の富の33%は中国にあり、ヨーロッパは全体で28%ほどを占めるに過ぎなかったという。さらに100年さかのぼった1700年の時点での富の分布の算出は難しいが、中国やインドやイスラム世界など、世界の各地域は、富が極端に偏在する今日から見れば、横一線に並んでいたといってよいという。ヨーロッパもそのころになってようやくそれに轡を並べるようになったが、それ以前のヨーロッパは、かなり貧しい辺境であった。全ヨーロッパを馬蹄に踏みにじる寸前だったモンゴル軍がオゴタイ・ハンの急死で引き揚げたのは、ヨーロッパがさほど魅力のないところだったからに他ならない。

イギリスのミレニアム記念切手。
近代になって時間も空間も
ヨーロッパが基準となった。

 逆に100年後の1900年の時点では、世界の富の大半がヨーロッパやその出先となった北アメリカに集まることになる。ヨーロッパ中心の世界史像は、このような時代に作られたものであり、ヨーロッパ人の自己愛を満足させるものとして作られ、日本を含む非西欧世界でも無批判に受け入れられることとなった。生物学的には、いわゆる人種の差は、亜種というにも及ばない僅かなものである。人種間に優劣の差があるなどという考えは、天動説や虫が非生物から「湧く」と考えるのと同列の非科学的な迷信に過ぎない。歴史は、本来優劣の差のない世界の各地域の人々の間になぜさまざまな差が生じたのかを解明することをこそ使命としなければならない。ヨーロッパ人という特定の地域の人間の優位を証明しようとする歴史など、歴史の名に価しない。

 最近、「自虐史観」という言葉をよく聞く。
日本が行った侵略や植民地支配を、どの国もしていたことではないかとして弁護し、日本ばかりが悪かったわけではないと主張する者が、日本の誤りを指摘する歴史に対して投げつける罵倒の言葉といってよい。しかし、私は、日本の誤りを指摘することを、少しも「自虐」とは思わない。私はそのころの日本に生まれていなかったし、そのような時代の日本にいささかの共感も覚えないからである。

 たしかに、日本が軍国化したのには自衛の要素もあったとは思う。しかし、侵略や植民地支配は、日本人自身にも不幸な結果をもたらした。その引き金となった欧米の帝国主義を批判する権利を日本人は確かにもっている。しかし、自分自身の侵略や植民地支配を正当化したのでは、欧米人の心にまでも響く批判はいつまでもできない。だからこそ、どこの国でもやっていたなどという子供じみた弁解はやめて、率先して悪かったことは悪かったというべきだと思うのである。欧米を買いかぶる、それこそ自虐的な世界史像に染まっているからこそ、アジアの国々から批判を受けたときに、「お前らごときに言われるか」という調子の威丈高な対応になってしまうのである。一見強い誇りをもっているようで、西欧に対するいわれのない劣等感にまみれている。西欧の歴史観の枠内でえらそうにしているにすぎない。戦前の日本により被害を受けた国の人々にも、あのころの日本人の行動が歴史の限られた局面でのものに過ぎないことを納得してほしいと思う。それを日本文化の宿命のように言われたときには反論もしたい。しかし、過去を賛美する人が日本の中であとをたたないようでは、その反論にも説得力がなくなってしまう。こういう人たちは、「国=公」と考えているようだが、「公」はどの国の主権も及ばない「公海」という言葉が示すように、「国」を超えるものである。「国」(正確には「国家」)は「公」と「私」のせめぎあいの上に成立するものである。どうも、「国、国」という人の多くは、それこそ「私」的な感情を「国」または「公」という語で擬装しているに過ぎないように思われてならない。

 非西欧世界に属する日本こそ、まっとうな世界史像を作り直す先頭に立つべきだと思うのだが、明治以来西欧にばかり目を向けてきた日本では、非西欧世界の歴史にくわしい研究者の層が薄く、研究の分野では、むしろ欧米での良心的な研究の方が先に進んでいることが多いようである。しかし、欧米の学校で教えられている世界史は、欧米のことしか書いていないひどいものである。キリスト誕生以後の2000年より長く続いた古代エジプト文明はさすがに記述するものの、そのあとも人間が住みつづけたエジプトのその後については一切記述しない。エジプト文明の歴史はのちのヨーロッパのためだけにあったとでも言うのだろうか? しかし、同様の錯覚は日本人もしているのであって、「~は中国から朝鮮半島を通して日本に伝わった」という決り文句にそれが示されている。朝鮮の歴史に生きた人々は、のちの日本の歴史のために生きたのではない。

 日本人も日本の教科書を書き換えるのなら、むしろ世界史の教科書から書き直そう。そしてそれを世界に発信しよう。血なまぐさい武力の上に築かれた経緯は別として、急速に発展した経済基盤の上に成立した近代ヨーロッパの洗練された文化に敬意を払うことに、私は少しもやぶさかではない。しかし、近代以降のヨーロッパを過去に投影して、ヨーロッパを買いかぶりすぎるのも、過ぎたるはなほ及ばざるがごとしで、逆の意味での偏見である。まっとうな世界史像を身につけ、卑屈さもその裏返しとしての尊大さもなくなったときにこそ、日本人は初めて世界からの尊敬を受けることができるようになるのではないかと思う。

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