英語のスペリングはなぜ難しいか?

1.15世紀以前の英語

15世紀以前の英語の母音
短音
[a]

[ɛ]
 
[i]

[ɔ]
 
[u]
長音 アー
[a:]
エー
[ɛ:]
狭いエー
[e:]
イー
[i:]
オー
[
ɔ:]
狭いオー
[o:]
ウー
[u:]

 日本人が英語を学ぶとき、母音の多様さによく悩まされる。cap と cup 、さらにはアメリカ英語では「カップ」と聞える cop (警官)の三つを正確に区別できる日本人は少ない。しかし、15世紀以前の英語の母音は日本人にとって、もっとなじみやすいもので、基本的には「ア」「イ」「ウ「エ」「オ」の5母音だったといってよい。ただ、この母音のそれぞれに長短の区別があり、「エ」と「オ」のには、口の開きの大きさによって、それぞれ2種類の長音があった。短い「エ」「オ」はこのうち、それぞれ口の開きの広い方の「エー」「オー」と同じ音であった。母音の長短は、今の日本語の「星」と「法師」が別の語であるように、語の区別に役立っていた。英語の母音は、15世紀以降、それぞれの音がずいぶん変化するのだが、しばらくは右の表に基づいて読んでいただきたい。

 なお、15世紀以前の英語は時代による変化が激しく、大きく古期英語(700~ 1100頃)と中期英語(1100~1500年頃)に分けられるが、ここでいう「15世紀以前の英語」とは、最末期の中期英語と考えていただきたい。また、小島剛一氏からの御教示によれば、busyやburyといった一見不規則な表記は、古期英語から中期英語への遷移の過程でそれまでの< y > がイングランド語域の 北部では< i >、南東部では< e >になったのに対して中西部から南西部では< y >のままでとどまっ たことの名残なのだという。今日も英語は地域差が大きいが、昔はさらに大きかったようである。

2.母音の長短を示す工夫

 母音の長短により語が区別されるのだから、文字表記にも工夫がこらされなければならなかった。短音は単純にa,e,i,o,uで示せばいいのだが、これをそれぞれの長音と書き分ける必要があった。さらに、長音にしかない狭い「エー」「オー」をどう書くかも問題であった。そのために、主として二つの方法が考えられた。
 第一の方法は、母音字をeaのように、二つ続けて書く方法(以下、「二重綴り digraph」と呼ぶ)である。eaはeプラスaではなく、ea全体で一つの音(広い方の「エー」)を示していた。「エー」「オー」はそれぞれ、狭い方がee,oo、広い方がea,oaで書かれた(keep,moon,meat,boat)。「ウー」はouと書かれた。
 第二の方法は、さらに分かりにくいものだった。母音の長短を日本のローマ字のように、母音字自体の上に長音記号をつけて示すのではなく、母音のつぎの子音をはさんで、読まないe(昔は弱い母音[ə]として読まれていたが、消失)で示すという方法であった。pin は「ピン」、pine は「ピーン」、mat は「マット」、mate は「マート」という具合である。

15世紀以前の英語の発音例
短音 mat
(マット)
pet
(ペット)
pin
(ピン)
hop
(ホップ)
cut
(クット)
長音 mate
(マート)
Pete
(ペート)
pine
(ピーン)
hope
(ホープ)
cute
(キュート)

 「狭いエー」と狭いオー」の場合は、第一の方法しかありえないが、今日の英語の読み方を難しくしているのは、長音表記において、上記の二つの方法が入り乱れてしまったことである。第二の方法がもっぱら用いられたのは「アー」「イー」のだけであった。「オー」も第二の方法が優勢であったが、第一の方法も少なからず用いられた。「エー」と「ウー」については、第二の方法はほとんど用いられなかった。さらに、今日 cute を「キュート」と読むように、uについて第二の方法が用いられたときは、「ウー」ではなく、外来的要素の強い「ユー」を示すことになっていた(上表参照)。
 先行する母音が短母音であることを示す工夫もあった。kick におけるck、doll におけるllなどである。しかし、このような工夫は hot や ship でとくにttとかppとか書かれないように、一般的ではなかった。

3.母音の大遷移(The Great Vowel Shift)

現代英語の母音
短音 エァ
[æ]

[e]
 
[i]

[ɔ]
 
[ʌ]
長音 エイ
[ei]
イー
[i:]
イー
[i:]
アイ
[ai]
オウ
[ou]
ウー
[u:]
アウ
[au]

 15世紀になって、英語の母音には革命ともいえる大きな変化が起った。これを「母音の大遷移」と読んでいる。その結果はあえてカタカナで表記すれば、右の表のようになる。uの短音のところに入れた「ア」は、発音記号では[ʌ]と書かれる、日本人の耳にはあいまいに聞える音である。長音の多くが二重母音化し、広狭2種類の「エー」はともに「イー」となって合流した。それまで「アー」「ベー」と唱えられていたアルファベットも「エイ」「ビー」と読むようになった。高校生のころ、母音字がしばしばアルファベットで読まれるとおり、「エイ」「イー」「アイ」「オウ」「ユー」と読むのが不思議だったが、もとは「アー」「エー」「イー」「オー」「ユー」と読まれていたのである。
 「ユー」の場合は、もともと「ウー」とは読まれていなかったので、「アウ」とはならなかった。ouが「ウー」を示す表記だったことは、young,tough などで、ouが[ʌ]を示すことから分かる。これは、母音の大遷移以前に「ウー」から「ウ」への短縮が起り、のちにさらに[ʌ]に変わったからである。head,breadなどでeaが「エ」という短母音を示すことがあるのも、これと同じ事情である。一方、狭い方の「エー」「オー」を示していたee,ooについては、今日、ほぼ例外なく「イー」「ウー(一部は短縮して『ウ』)」となっている。
 今日の英語のスペリングが分かりにくいのは、かつては分かりやすかった長短の対応が、母音の大遷移により、音の面でばらばらな印象を与えるようになってしまったためである。

4.短母音における例外

 短母音については、母音の大遷移により、音自体は変わったものの、発音とスペリングの対応はおおむね規則的である。しかし、[ʌ]となるべきはずのuの一部に、昔どおり[u]と読むものが散見される。その多くはbush,pullなどのように、pやbとshやllに挟まれたものが多い。これらの子音は発音に唇を使うので、その影響で昔の音が保たれたのである。また、mother や son など、[ʌ]というuで書かれるべき音がoで示されているものもある。n,m,vなどの周辺に多いが、これは、筆記体で書いたときに、読みにくくなるのを防ぐためであった。また、母音の大遷移以前に母音の延長が起った例もある。find や wild のように、ndやldの前に多い。またLの前にはuという母音が入りやすく、all(アル)は、[aul]を経て今日の「ɔ:l]となった。15世紀以前の英語には[ai][au]という二重母音もあったが、それぞれ[ei][ɔ:]となっている。また、wのあとのaはwax などを除いて[ɔ]になっているが、これは、唇を丸めるwの影響を受けたためである。night などは、ドイツ語のHeinrich (ハインリッヒ)の「ヒ」のような音を示すghが消滅したあと、その代償としてiの音が伸ばされたものである。

5.Rのいたずら

 舌が宙に浮くR音は、きわめて不安定な音で、母音のあとではあいまい母音の[ə]になりやすい。このため、fireは、「フィール」から「ファイル」を経て今日の「ファイア」になった。この場合は、「アイ」の音は影響を受けていないが、多くの母音が変化したRと融合して新しい母音を生み出した。短母音の場合、arは[ɑ:]、orは[
ɔ:]、er,ir,ur はすべて[ə:]となり(park,corn,serve,girl,burn)、長母音の場合は[ɛə][iə][ɔə][uə]といった新しい二重母音が生まれた(hair,deer,core,pure)。その後に軽くR音を響かせるのは、アメリカでは一般的だがイギリスでは一般的ではない。しかし、There is のように、あとに母音が続くと消えたはずのR音が復活して「ゼアリズ」のように読まれる。

6.書き換えの謎

 hitなどに-er,-ingをつける場合にはtをttと重ねてからつける。これは先行する母音が短母音であることを示すためである。母音のあと単独の子音や子音プラスLをはさんで読まないeがあるときには、母音を長い読み方(アルファベット読み)をするのが原則だからである(rifleはライフル、battleはバトル)。studio,stadiumも「ステューディオウ」「ステイディアム」のように読まれる。とかく日本人は短母音で読みやすい。シアトルはSeattleと綴るがttは直前のaが短母音であることを示す。したがって、eaは一つの母音を示す二重綴りではなく、eプラスaと解釈すべきで、だから「シートル」ではなく「シアトル」となる。zoo(ズー、動物園)のooは二重綴りだが、zoology(ゾウオロジー、動物学)のooは二重綴りではない。二重つづりではない母音字が連続したときは、lion(ライオン)、dial(ダイアル)のように前の母音を長い読み方で読むのが普通であり、piano(ピャノウ)のようなのは珍しい。
 ladyなど単独のy(ayやoyでなく)yで終わる語に-sをつけるときにはyをieに変えてから-sをつけると教わった。しかし、これはyをiに変えてから-esをつける、というのが正確なのではあるまいか? iやuは、語の最後にきたときには、yやwと書かれることが多い。ladyなどの場合、語の最後でなくなるからyをiに変えるということであろう。wは、town、owlなど、nやlの前でも現われるが、これは筆記体で書いたとき、読みやすくするためであろう。中高生のとき、こういう書き換えは「なぜ」と問うことなく丸暗記したように思う。

7.摩擦音の清濁

 摩擦音とはsやfなどのように、息の通路を少し開けて摩擦する音であり、母音を伴わずとも伸ばすことができる。英語では古くは摩擦音に清濁の区別がなく、スペリングの上でも書き分けられないことが多い。sやthの清濁を問う問題に悩まされた覚えは誰にもあるだろう。wifeやknifeなどが複数になるとwives,knivesとなるのもこのためである。なお、V音は、Slav(スラブ民族)などの外来語を除き常にveで表わされるため、その前の母音の読み方の長短が分からない。そのためhaveは「ヘイヴ」ではなく「ヘァヴ」となる。

8.二重母音とは何か

 [ai][au]という二重母音に含まれる[a]という音は、短母音として単独で現われることはない。従って、これらは短母音にi,uがついたものとは考えられていない。また、二重母音とは、たとえばaからiへとなめらかにアナログに移行する音であるため、途中で分けられるものとはされていない。二重母音は全体で一つの母音と考えられているのである。

9.英語は短母音で終われない。

 英語ではアクセントのある短母音で語が終わることはない。アクセントのない音節の母音は[ə]か[i]になりやすく、さらにはseason のoのように脱落してしまう。アクセントの英語での重要性は日本人が思っている以上で、英語国民はアクセントのある母音以外は子音だけで語を聞き分けているようである。フランス語からの外来語であるballet(バレエ)は、[bæléi]と発音される。かつてJapaneseがJapと略称(蔑称となったが)されたように、短母音のあとには必ず子音をつけて略すのも、英語が短母音で終われない言語だからである。

10.外来語の表記

 ou という綴りは受験生泣かせである。snow のように[ou]と読むこともけっこう多い。しかし、最も一般的な読み方が、[ou]ではなく[au」であることは銘記しておく必要がある。ところで、couponなどではouは[u:]と読む。これは、フランス語からの外来語だからである。スペリングは言語が異なれば別の体系がある。外来語を取り入れる場合は、綴りも発音も原語通りとすることが多いため、英語の表記原則からすれば例外となる。英語がきわめて外来語の多い言語であることが、英語のスペリングをさらに難しいものにしている。machineなどもフランス語起源であり、英語式に読めば「マチャイン」となるはずである。アクセントが最後にあるのもフランス語的である。語の最後の読まないはずの単独のeも外来語では、sesame(胡麻、セサミ・ストリートの「セサミ」),recipe(レシピ),Nike(ナイキ、ギリシャの女神の名)などのように、はっきり「イ」と読まれる。

11.最後に

 皮肉屋で知られた劇作家のバーナード・ショウは、英語のスペリングがでたらめだとして、ghotiでfishと読める(laugh,women,nation)と皮肉ったが、これは「子子の子子子子」で「ねこのここねこ」と読めるというのと同じことである。英語のスペリングには決まりがないのではない。ただ、その決まりが複雑で分かりにくいということなのである。その決まりを中学一年生の最初から教えると音をあげるだろうし、あとで例外が多いのに裏切られた思いをするだろうが、高校生ぐらいになれば、スペリングの決まりの概略ぐらいは教えてもいいのではないかと思う。そのほうが、試験問題によく見られるように、例外中の例外のような表記の語を覚えるよりは大切なのではないかと思う。


表紙へ



inserted by FC2 system