「はひふへほ」の歴史

 鉛筆などを数えるとき、一本、二本、三本と数える。漢字で書けばなんということもないが、かなで書くと、「いっん、にん、さんん」となる。外国人に「いっん、にん、さんん」ではなぜいけないのか、と聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか。

 さて、ここで一つ問いを発してみたい。「ば」は本当に「は」の濁った音なのだろうか? 改めて声を出して考えてみてほしい。bの音は閉じた唇を息ではじいて出す音だが、hの音は口をあけたままのどの奥の方から出す音である。つまり、おたがいにまったく似ても似つかない音である。それなのに、なぜ、日本人は「ば」を「は」の濁った音だと思っているのだろうか。中国人や韓国・朝鮮人が「ばら」と言おうとすると「ぱら」と聞こえることがある。英語のshipsとlibsの最後のsの音を比べてみれば、pこそがbの澄んだ音であることが分かる。実は、日本語でも大昔はbの澄んだ音はpだった。沖縄の宮古、八重山の先島方言で、「花」を「ぱな」というように、今も p 音が保持されていることは、日本語の「はひふへほ」が昔「ぱぴぷぺぽ」だったことの有力な証拠になる。

 しかし、「ぱぴぷぺぽ」は一挙に「はひふへほ」になったのではない。その中間として「ふぁふぃふふぇふぉ」と言っていた時期がある。その子音は、両唇を近づけてその間で息を摩擦させて出す音で、上の前歯を下唇に軽く押し当てて出す英語などのfとは異なる(日本人がphotographyと言うとpornographyと聞き取られることがある)ので、音声としては[Φ]で表わすことにする。「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」が今のように「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」となったのは、江戸時代のはじめのことで、日本語の歴史から見れば、ごく最近のことである。しかし、昔の発音などが、なぜ分かるのかと不思議に思う人も多いだろう。

 いちばん分かりやすい証拠は、戦国時代に日本に来たポルトガル人が、日本語のハ行音をFで表していたことである。たとえば、当時、ポルトガル式のアルファベットで日本語を記したキリシタン版の平家物語(1592)の表紙には、「日本の言葉とイストリア(これはポルトガル語)を習い、知らんと欲する人のために世話(俗語)に和らげたる平家の物語」という説明があるが、語頭のハ行音がことごとくFで示されている。1595年に出版されたポルトガルの地図作家テイセラの日本図では、当時の貿易港であった「平戸」がFirandoと書かれ、「肥前」がFigenと書かれている。Figenの発音は「フィジェン」という感じであろう。九州では、「セ」「ゼ」を「シェ」「ジェ」に近く発音する人が今でもいる。Firandoののnについては、東北方言で「さば」を「さば」のように発音する傾向が当時はもっと広い地域に広がっていたのではないかと思われる。また、当時のなぞなぞに、「母には二回あうが、父には一回もあわないものはなあに?」というのがあるが、答えは唇で、「はは」と発音するとき唇が二回近づくというのがその心である。なお、東北地方にも「へび」を「ふぇび」というように、Φ音の残っている地域がある。

 では、さらに時代をさかのぼって、ハ行がまだ「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」にもならず「パ・ピ・プ・ペ・ポ」だったのがいつまでかということは、よく分かっていない。ただ、今の日本語における漢字の音読みが、この問題を考える手がかりにはなる。たとえば、「海」という字を音読みで「カイ」と読むことに注目しよう。中国に上海という大都市がある。「海」を「ハイ」と読んでいる。中国語で「カイ」が「ハイ」に変わったわけではない。そのことは、日本語に先だって漢字、漢語を取り入れた朝鮮語でこの字を「ヘ(古くはハイ)」と読んでいることからも分かる。漢字、漢語を取り入れたころの日本語にhの音があったなら、わざわざ「カイ」と読みかえるはずはないのである。同じことは、你好(ニーハオ)の「好」についても言える。

中国   日本

 いっぽう、現代日本語でハ行で読む字は、中国語や朝鮮語ではp音で読んでいる。「位牌」の「牌」は「ハイ」と読むが、中国語で「パイ」と読むことは、麻雀でおなじみである。ただ、このことは当時の日本語で「はひふへほ」が「ぱぴぷぺぽ」だったことの証拠とはならない。hをkで表したように、Φをpで表したのかも知れないからである。しかし、日本語の歴史をさかのぼると、いつかpがΦに変わった時期があることは、沖縄の先島方言などから間違いないことと思われる。「ひかり」は「ぴかり」であり、「ひよこ」は「ぴよこ」だったというわけだ。pで始まる言葉がΦで始まるようになったことには例外がなかった。これは当然のことだ。実際の発音は変わっても、同じ音は同じ音としてとらえつづけなければ、言葉は通じないからである。

 しかし、pの音は完全に姿を消したわけではない。「ぽろぽろ」「ぴかぴか」などの擬態語などに残っているし、漢語の影響で発生した「ん」や促音(小さい「っ」のあとでも、「電波」や「達筆」のように健在である。「ん」や促音のあとではΦより p のほうが発音しやすい。そして今では「ピアノ」や「プール」などの西洋語の導入によって、さらに増えている。bの音はもっとありふれている。漢語にも多い上に、和語にも、もともと「連濁」という現象がある。二つの言葉が連続して一語となるとき、あとの語の先頭が濁るという現象で、「ふるたぬき」が「ふるだぬき」となるのがその例である。同様に「まつはら」は「まつばら」となり、pからΦ、Φからhという変化の影響を受けなかった。さらに、b音は、p音と違って漢語にも多い。「晩」や「盆」などb音で始まる漢語はいくらでもあるが、p音で始まる漢語はない。

石原 イシ
松原 マツ
金原 キン
藤原 フジ

 「松原」というのは苗字にもあるが、同じ「原」の字がつく苗字でも、その読み方は左の表にある通りさまざまである。「金原」は全国的には珍しいが、浜松市民にとってはおなじみの苗字である。「ハラ」については後述するが、このうち「ワラ」という読み方はどのようにして生まれたのだろうか。実は、p音はすべてΦ音に変わったが、Φ音はすべてh音に変わったのではないのである。ここで、「ゐ」「ゑ」「を」というかなのことを思い出してほしい。「ゐ」「ゑ」「を」という仮名は、本来は「ウィ」「ウェ」「ウォ」という音を表していた。しかし、「ウィ」「ウェ」「ウォ」といった音は、やがて「イ」「エ」「オ」に合流して姿を消し、仮名表記の上でだけ書き分けられることになった。戦後になって、「ゐ」と「ゑ」が廃止され、「を」も助詞に限って使用が認められるようになったのも、このためである。「ウィ」「ウェ」「ウォ」という音は、今日では英語の影響で復活しているが、いったんは日本語から完全に姿を消していた音だったのである。現在ワ行が「ワ・イ・ウ・エ・オ」となり、「ワ」を除いてア行と同じになっているのもこのためである

 両唇で出す音は、母音と母音にはさまれた環境ではその影響を受けて濁りやすい。濁ったΦに近い音はWである。こうして、言葉の始めにあるΦはすべて h になったが、言葉の中にあるΦはwとなり、ワ行は「ワ・ウィ・ウ・ウェ・ウォ」となり、ついで「ワ・イ・ウ・エ・オ」となった。「由比(ゆい)」という地名や「奈保子(なおこ)」などの人名に見られる表記もその名残である。こうして、ワ行に合流したハ行の音を特に「ハ行転呼音」という。

 こうしてハ行の音が大きく変わる一方で 、b や p も一定の条件のもとでは生き残った。冒頭で書いたようなややこしい事態が生じたのもこのためである。「いしはら」なども一旦は「いしわら」となったものと思うが、発音が変わっても表記は「いしはら」のままだったので、「は」と「わ」は別の音という意識が働き、「いしはら」と言うようになったものだろう。「藤原」「菅原」「梶原」などにも「ふじはら」「すがはら」「かじはら」と読む人が珍しくはない。古い一門がいるために「わら」が主流となっているが、「はら」と読む人も多いのは、「わら」と読むようになってからも戦後にいたるまでずっと「ふぢはら」「すがはら」「かぢはら」と書き続けたためだと思う。漢語の場合は一字一字の読み方を気にするがゆえに、「支配」のように語中に h 音が入る例が多い。また、語頭のハ行の中で「ふ」だけは、唇をすぼめる「ウ」の音の影響でΦのままで残った。ヘボン式ローマ字で、「ふ」だけが huではなくfuと書かれるのも、このためである。

 古文を勉強中の中高生諸君も「古文では、なぜ貝をかひと書くのか」などという質問はしないことである。「はな」が「ふぁな」であり、「かい」が「かふぃ」だった当時としては、そう書くのが当たり前だったのである。自分の時代を無意識に前提にしてはいけない。「うれしい」を「うれしひ~うれしひ~」と書いた漫画を見たことがある(このような間違いは、江戸時代の川柳の表記にもすでに見られる)が、これは「うれしき」のイ音便なので、「うれしい」が正しい。語中の「いうえお」の多くが「ひふへほ」であることは確かだが、すべてがそうだと思い込んではならない。布施明に「シクラメンのかほり」というヒット曲があったが、正しくは「かをり」である。もっともこの歌の作詞・作曲者である小椋佳が佳穂里(かおり)夫人に捧げたラブソングだという説もあるので、無粋なことで揚げ足を取るのは野暮の極みかも知れない。


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