「奈良」は朝鮮語で
「富士」はアイヌ語か?


 地名には語源が分からないものが多い。現代語では容易に解釈できないために、古語やら他の言語やらから色々な語を引っ張ってきて解釈する向きもあるが、地名のほとんどは「語源不明」とするほかはなく、「東京」や「北九州」のように、語源が断定できるものは例外中の例外だといってよい。

 「奈良」が朝鮮語(=韓国語)だという説がある。現代朝鮮語で「ナラ」というと、「国」のことである。古代の渡来人たちが自分たちの国を作るんだという意気込みで、新しい都を「ナラ」と名づけたのだという。この説は、祭りの「ワッショイ」という掛け声が朝鮮語の「ワッソ(来た)」からきているという説とともに、巷間に広まっているが、どちらにも根拠といえるものは無い。「ワッショイ」のほうは、朝鮮語に「来た」という意味の「ワッソ」という表現ができたのは、やっと19世紀になってからのことであるから、とても成り立たない。

 「奈良」については、地名の語源を明らかにすることが一般の語彙以上に難しいことをまず認識しなければならない。ドイツ語ではイヌをHundといい、英語にも多くは複合語の中で用いられるhoundという言葉がある。同じ対象をさすことは明らかであり語形も似ているのですぐに比較を始めることができる。しかし、地名は、まずどの範囲を示してできたものなのかが分からない。本来は戸数16戸の小さな漁村を示す地名だった「横浜」が大都市の名前に転じたように、狭い地域の呼称が広い地域の呼称に転じることもあれば、水沢市などが合併して出来た岩手県奥州市のように、広い範囲の呼称が狭い地域の呼称に転じることもある。奥州の岩手県ではあっても岩手県の奥州ではないのだが、大小が逆転していまっている。
さらに、地名の本来の範囲を確定できたとしても、それにどのような意味で地名をつけたのかが次の関門となる。「たか」一つとっても、漢字表記は当て字にすぎないので、「高」なのか、「竹」なのか、「鷹」なのかを考えなければならない。地名の語源の大半は根拠を提示できない(=分からない)ということが広まってほしいのだが、「なぜ」という問には何でも答えられるはずだと思い込んでいる人が多すぎる。

 「ナラ」という地名は、大和の奈良以外にも日本列島にたくさんある。「奈良田」とか「楢川」というように「ナラ」を含む地名まで含めるとさらに多数に上る。「奈良田」は山梨県にあり、平家の落人村だと言うほどの山奥にあり、「楢川」は信州の木曾谷にある。一方、福岡県に京都郡という郡がある。「みやこ」と読む。むかし、筑前国の国府があったところである。岩手県には宮古という市があり、三陸沿岸の中心となっている。地域の中心という意味ならば「ミヤコ」のほうが自然であり、「国」という意味の語を中心の意味で用いた地名の例は、日本列島の内外を問わず聞いたことがない。奈良時代の文化を築く上で、朝鮮半島からの渡来人が大きな役割を演じたことが「ナラ」朝鮮語説を裏付ける根拠になるわけでもない。

 作家の金達寿(キム・タルス)氏は、軍隊が踏みならしたから「なら」とついたという日本書紀の記述を持ち出してきて、それと対照させて朝鮮語説の信憑性を高めようとしている。しかし、だいたい記紀や風土記の地名説話というのは、神話に合わせて地名を意味付けようとしたもので、もともと信用できるものではない。仮にこの語源説を朝鮮語説への対案として出す人がいるとしたら、「どっちもどっち」という他はない。「ねずみ」は屋根裏に住んでいるから「やねずみ」が縮まったものだとか、寝ないで見ていないと何をするか分からないから「寝ず見」だというような「語源俗解」の典型であり、思い付きの域を出ない。

 朝鮮語の「ナラ(国)」については、訓民正音諺解などのハングル創製時の文献に、naraではなくnarahと表記されていたという問題もある。日本の室町時代にあたる15世紀にもなって末尾の[h]音が残っているということは、さらに古くは[k]音であり、古く朝鮮語を取り入れたのならば、「ナラカ」というような形になるはずだという指摘もある。さらに古代の渡来人の母言語についての資料も無く、現代の朝鮮語とつながる言語だったかどうかすら定かではない。

 「奈良」という漢字表記は、万葉集では奈良の都を示すことが多いが、地名のみを示すものではなく、広く「ナラ」という音を示すことも多い。「迦久乃尾奈良志(かくのみならし 886)」「安布毛能奈良婆(あふものならば 3751)」「奈良受等母(ならずとも 4295)」などがその例だが、「国」という字を「ナラ」と読ませる例は見当たらない(引用例に付けた数字は歌の通し番号)。

 奈良市の北にある奈良山は、万葉集では「平山」と表記されることもある。奈良山はなだらかな丘陵地帯であり、奈良盆地は別に軍隊が踏み均さなくても、もともと平坦な地形である。こういったことから、「ナラ」とは平坦な所、なだらかな地形の所をさすのだという説も出てくる。しかし、この説にも決め手は無く、「奈良=国説」の対案として出すことはできない。そもそも対案を出すということ自体、地名の語源は分かるのが普通だという思い込みを前提としているのであるが、最初に書いたとおり、地名の語源は分からないのが普通なのである。

 ただ、「平山」という表記や奈良の都の「平城京」という別称は、「ナラ」を「平」という字で示すのが当時の人々にとって分かりやすかったことを示している。それを「奈良」の二字で示したのは、風土記編纂にあたって地名は佳字二字で表せという元明天皇が出した勅令に応えたものであり、そのような例は、「紀伊」「和泉」「阿波」といった国名など、日本列島の各地でいくらでも見つけることができる。

「奈良は朝鮮語か」という問題について確かなことは二つしかない。一つは、日本に「ナラ」という古都があること、もう一つは、現代朝鮮語で「国」のことを「ナラ」ということである。そして、二つの事実を結びつける論拠は、実は何一つない。

 地名については、アイヌ語での解釈もよく行われる。しかし、アイヌ語での解釈が成り立つ可能性があるのは、東北地方の、それも北部の地名までである。北海道には「ナイ」や「ベツ」で終わる地名が多い。いずれも川や沢をさすアイヌ語である。青森県には今別(いまべつ)とか苫米地(とまべち)、秋田県には毛馬内(けまない)とか生保内(おぼない)という地名があり、アイヌ語起源の可能性が高い。しかし、西日本の地名までアイヌ語で解釈するのは余りにも乱暴と言うほかはない。だいたい自然地名というものは、時代がたってもなかなか変わらないものである。北海道にあれほど多い「ナイ」「ベツ」地名が東北南部から急減することについて、納得できる説明は読んだことがない。地名をアイヌ語で解釈するのに熱心な人に限って、アイヌ語をちゃんと勉強していない、文法の初歩すら分かっていないことが普通である。

 富士の語源をアイヌ語の「フチ(火)」だとする説が、いまだにかなり広まっている。しかし、アイヌ語の「フチ」には、「おばあさん」という意味はあっても、「火」などという意味はない。この説を唱えたのは、明治に北海道にいた宣教師バチェラーであるが、アイヌ語の知識が十分だったとは言いがたい。火を意味するアイヌ語は「アペ」であり、日高山脈南端の山アポイ岳(←アペ・オイ 火のある所)などの地名がある。「エカシ(おじいさん)」と並ぶ基本的なアイヌ語である「フチ」をなぜバチェラーは「火」の意味にとったのだろうか?「アペフチカムイ(火のおばあさんの神)という神名の解釈を誤った可能性もある。さらに、古代の日本語には[h]音がなかったのだから、huchiが日本語に入ったのなら、「クチ」になるはずだ、という批判を金田一京助が80年以上も前にしている。この批判は当然のことで、現に中国語を取り入れる際にも、上海のように「ハイ」と読む「海」を「カイ」として取り入れている。また、「富士」の旧仮名遣いが「ふじ」であって「藤」のように「ふぢ」でないことからも、この説は成り立たない。

 地名の語源を確定することはきわめて難しい。それなのに「全部分かるはずだ」と思い込んで、個々の地名を自分のロマンに合わせて個々バラバラに解釈する人が世の中には多い。地名の語源は分かることが例外なのだということが、常識として広まってほしいものである。


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