宇治に黄檗山萬福禅寺という寺がある。江戸時代のはじめ、中国から日本に渡ってきた隠元禅師の開いた寺であり、「山門を出づれば日本(やまと)ぞ茶摘み唄」という句が詠まれたほど、中国的な雰囲気に包まれた寺である。学生時代にこの寺へ行ったときの入山券が手元にある(右の写真)。意味は分かるのだが、気になるのは、漢字にふられた振り仮名であり、普通の読み方とはかなり異なっている。しかし、中国語を知っている人なら、この読み方が、かなり現代の北京語に似ていることに気づくであろう。隠元の開いた萬福寺では、寺の中のことが万事、当時の中国語で行われ、それが今に伝えられているのである。 (1)P、T、Kで終わる入声の音が消滅している。……白(ぺ)、速(そ)、各(こ)、覚(きょ)、勿(う)、逸(い) 以上に述べた特徴を持つ日本の唐音語の例を藤堂明保氏の「漢語と日本語」(秀英出版)から挙げてみよう。(1)から(4)のどの特徴が表れているか、考えていただきたい。ただ、唐音は、耳から聞いた中国語だったからか、呉音や漢音のように体系的ではないことがあるのは了承されたい。また、「饅頭」は今の中国では「マントウ」と読むように、唐音が入ってきた時代の杭州などの地域的な音の影響を受けていることもある。 こうして見ると、仏教語のみならず、今ではすっかり日本人になじまれている身近な事物の名前が多いことに気がつく。鎌倉時代以降の中国との貿易を通じて入ってきたものがいかに多いかが分かるであろう。JRのポスターにもあったように、けんちん汁や精進料理も禅宗とともに伝わったもののようだ。ただ、今日いう「いんげん豆」は、じゃがいもやかぼちゃなどと同じく、南米で栽培されていた作物であり、隠元が伝えたのはふじまめという別種の豆らしく、古くはこれを「いんげん豆」と呼んでいた。じゃがいもはジャガタラ(ジャカルタ)、かぼちゃはカンボジアから伝えられたとしてこの名がついているが、ともに南米起源である。なんきん豆(皮をむくとピーナツ? 殻がついていると落花生?)も南米起源の作物だ。なお、茶を飲む習慣(喫茶)も禅宗とともにひろまった習慣で、「茶」を「ちゃ(日本だけの慣用音で、呉音漢音とも「た」)でなく、「さ」と読むのも唐音である。 |
「普請」は本来は寺を建てるための資金を「普(あまね)く請う」ことであったのが、寺を建てることそのものとなり、さらには寺に限らず家を建てることになって、「安普請」などという言葉を生んだ。中国は古くから椅子とベッドの生活であるから、椅子は奈良、平安時代にすでに伝わっていたのだが、当時は「倚子(もたれかかるもの)」と書いて、「いし」と呼ばれていた。「子」の字を「す」と読む例は、坊さんが手に持って振る「払子(ほっす)」や「金子(きんす)」、「様子」などたくさんある。「ちょうちん」はいまふつう「提灯」と書くが、「吊灯」が本来の形である。これに対して「行燈」は「あんどん」だが、「灯」と「燈」とは本来別の文字であり、戦後の文字改革で「灯」が「燈」の代わりに(というより「新字体」とされて)用いられるようになった。しかし、「電灯」を「でんとう」と読むのは本来はおかしく、「でんてい」と読まなければならない。「行」という字は呉音で「ぎゃう」、漢音で「かう」だが、これは呉音にはHの濁った音があった上に、母音が英語のcapの母音のような「エァ」という感じの音だったからで、漢音ではhangという感じの音であった。これが、唐音となるとngの音がはっきりしてきた上、Hの音が聞き取りにくかったために「あん」となったようである。 |