日本語の長音表記

 オ段の長音を表すには3つのやり方がある。「コート」のように「-」を用いるのは外来語に限られるので問題はないが、混同を起こしやすいのが「おう」と「おお」の表記である。これを使い分けるには、まず漢語には「おお」型の表記はないことを知っておけばいい。しかし、和語で「おお」型の長音表記をするのは、旧かなづかいで大阪(おほさか)のように「ほ」または十(とを)のように「を」で長音が示されていた語であり、それ以外は「おう」であるので注意を要する。旧かなづかいを知らないと書き分けられないという意味では、長音表記に関しては、戦後の文字改革は不徹底であった。今の滋賀県をさす「近江」は「おうみ」であって、「おおみ」ではない。

 「おうみ」は本来淡水湖である琵琶湖をさし、「淡海」という意味で「あはうみ」であった。日本語には古く母音が続くのを避ける傾向があったのでこれが「あふみ」となり、「あうみ」を経て「おうみ」となったのである。京都の東の出入り口であった逢坂の関も、もとが「あふさか」であるから「おうさか」と書く。このように、「読まう」から来た「読もう」、「行きませう」から来た「行きましょう」など、「あう(あふ)」、「えう(えふ)」といった音が簡略化したものは「おう」型の表記をするが、おおむね和語には「おお」型の表記が多い。このように長音を母音で表記するのは、「かあさん」「にいさん」「ねえさん」といった語にもみられるが、「父さん」だけは「とおさん」ではなく、「とうさん」である。

 このように、音訓の違いに注意を払っていれば「おお」と「おう」の書き分けは容易だが、音訓の区別が苦手な人が増えているので、混乱がおこるわけである。とくに目立つのは、「いつもどおり」を「いつもどうり」と書く人が多いことである。「とおり」は「通り(とほり)からきている和語である。これに対し、「おとこどうし」の場合は、「同士(同志ではない)という漢語であるから「どうし」となる。混乱を避けるために現代仮名づかいの方針を貫くとすれば、オ段の長音のすべてを外来語と同じように「-」で示せばよい。しかし、その場合、「行使」「高利」は「こーし」「こーり」でいいが、「子牛」「小売り」は「こうし」「こうり」と書かなければならない。「物音」も「ものーと」とは書けない。語源意識が働くので、実際にも長音として発音している人は少ないであろう。

「近江」と「遠江」 今の滋賀県を「近江(おうみ)」といい、静岡県西部を「遠江(とほとうみ)といった。それぞれ「江州(ごうしゅう)」、「遠州」と略す。このうち、「おうみ」の語源はここで述べた「淡海」であり、琵琶湖を呼ぶ名が国名になったものである。「とほとうみ」はその前に「遠つ」がついたものである。「つ」は「天つ風」「沖つ白波」のように、今の「の」に当たる古い助詞である。琵琶湖より都から遠い浜名湖を呼ぶ名が国名になったものである。ここに述べたことから、「トートーミ」の正しい現代かな表記は「とおとうみ」ということになる。 なお、「淡」「粟」は「あは」、「泡」は昔から「あわ」である。「ぬれ手にあは」は「泡」ではなく、「粟」であり、「あわゆき」は「沫(=泡)雪」と書く。

 漢語のオ段長音は非常に多いが、これはさまざまな音が合流した結果であり、「こう」を例にとれば、古くは「かう」「くわう」「こう」「かふ」の四種類があった。例を一つずつあげtるなら、順に「江」「光」「公」「甲」となる。旧かなづかいの復活を唱える人でも、漢字の音読みの区別は苦手らしく、現代かなづかいでもいいという人が多い。しかし、そこまでするのなら、中国語の学習を容易にするために、音読みも元にもどしてみてはいかがだろうか? しかし、この四種類の区別でさえ、もとの中国語に比べると、ずいぶん簡略化されているのである。まず日本語のハ行は古くはファ行、さらに古くはパ行であったので、日本語にはhの音がなかった。このためhもkに合流している。今なら上海のように「ハイ」と読まれている「海」の字も「カイ」とよまれているのがその一例である。現代中国語では、「江」「光」「公」「甲」は順に「チャン」「クヮン」「コン」「チャ」とよむ。このうち、「甲」は朝鮮漢字音で「カプ」と読むように、もともとpの音で終わっており、現代中国語ではそれが脱落しているが、他の三つはいずれも「ン(ng)」の音で終わっている。しかし、「かう」と「こう」には、ngを含まない音も合流している。「好」の字は「かう」と書かれたが、現代中国語ではhaoと読まれる。「ニイハオ」をどう書くかを思い出していただきたい。もとから「こう」と書かれた「口」の字もkouと発音されている。「好」や「口」はもともとこのような二重母音を含み、ngを含まない音であった。

 つぎに、もともとngの音を含む「江」「光」「公」などを、なぜ日本語では「ん」を含む音として聞き取らなかったのだろうか? 日本の漢字音で「「安」「金」「本」のように「ん」を含むのは、もとの中国語でngではなく、nを含む音(mを含む音もこれに合流)であった。nを含む音もngを含む音も非常に多く、たがいにはっきり区別されていたので、日本語ではngを含む音を長音で示して区別した。これは、日本語にはnとngの区別がないからでもあり、両者の区別のある朝鮮やベトナムの漢字音では、はっきりngで示されている。ただ、古い中国語のngは、はっきりしたngではなく、後半が軽く鼻にぬける長音だったようである。そのことは、ウイグル語の碑文などにも、日本語同様ngを含む漢語が長音で示されていることから分かる。しかし、時代とともに中国語のngは、今日のようなはっきりした発音になった。この傾向は、鎌倉時代以降に日本語に入った漢語(唐音語)にも反映されており、看経(かんきん)、湯婆(たんぽ、前にまた「ゆ」をつけて「ゆたんぽ」)などがその例である。

 「京」「青」「兵」「明」など、「えい」という響きを含む漢語の多くもngを含んでいた。中国ビールの本場として有名な「青島」は、今日「チンタオ」と読まれている。しかし、「えい」という響きの語にはeiという二重母音を含み、もとからngを含まない語も多い。韓国の歌手「桂銀淑」は「ケー・ウンスク」であり、「桂」にngの音は含まれていない。なお、ngを含む「えい」型の語の母音は、英語のcapや名古屋弁の「おみゃあ」に含まれる「æ(エァ)」のような音だったようである。これを「えい」型で読むのは漢音であり、呉音では「やう」のように聞き取っている。このため、たとえば「京」には「けい」と「きょう(←きゃう)」のような2種類の読み方が生まれている。今日「えい」という音は「えー」のように読まれるのが普通だが、はっきり「えい」型の発音をする人もいる。「丁寧」を「ていねい」とはっきり発音する人がいれば、九州か高知県、あるいは和歌山・奈良・三重の三県にまたがる紀伊半島南部の人であると考えてよい。

 日本語では同じく「こう」となっている音も、もとの中国語では多様な音に分かれていたのであり、さらに日本語にはない子音の有気音、無気音の区別や、声調(声の上げ下げ)の違いも加わってちゃんと聞き分けられていたのである。ただ、中国語にも時代とともに発音が簡略化し、合流する傾向がある。「金銭」「河川」のように似た意味の漢字を連ねた熟語が中国語に増えたのも、このような発音の簡略化と関係がある。


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