トルコとアラブ

 昔、江利チエミという歌手が「ウスクダラ」という歌を歌ってヒットしたことがある。トルコ人なら誰でも知っている民謡で、原詩はつぎの通りである。

Üsküdar'a gideriken aldı da bir yağmur(繰り返し)
(ユスキュダラ ギデリケン アルドゥダ ビル ヤームル)

Kâtibimin setresi uzun eteği çamur
(繰り返し)
(キャーティビミン セトゥレスィ ウズン エテーイ チャームル)
Kâtip uykudan uyanmış gözleri mahmur.
(繰り返し)
(キャーティプ ウイクダン ウヤンムシュ ギョズレリ マハムール)

Kâtip benim ben kâtibin el ne karışır?

(キャーティプ ベニム ベン キャーティビン エルネ カルシュル)
Kâtibime kolalı da gömlek ne güzel yaraşır!
(キャーティビメ コラルダ ギョムレック ネ ギュゼル ヤラシュル)

 江波戸昭氏の「世界の民謡をたずねて」(自由国民社 1974)には、本多賀文氏による次のような訳が載せられている。

 「ウスクダラに行った時は雨だった。キャーティップの着物の裾が長く、はねがあがっていた。キャーティップは起きたばかりなのか、目はぼんやりしていた。キャーティップは私のもの、私はキャーティップのもの、腕を組めるのは私だけ。」5行目の訳があるはずだが、なぜかこの本では脱落しているものの、訳文はおおむね正確だが、「ウスクダラ」(後述)には感心しない。5行目は、たしか、キャーティップにはトルコ独特のある服装がとても美しく似合うというような歌詞だったと思う。キャーティップとはもともとアラビア語で「書記」を意味する言葉で、恋人を職業名で呼んでいると理解されたい。結局、この歌の元歌は女性からのラブソングである。二番には道でハンカチを拾い、菓子を買って拾ったハンカチにくるんでキャーティップを探していたら、いつの間にか私の横に立っていたというような歌詞に続いて、「腕を組めるのは私だけ」のリフレインが入るという純情可憐な歌詞である。

(注)原詩のsetreは「外套型で前ボタンの付いた長い上着」を意味し、eteği(etek)は「裾」を意味する。「はねがあがっていた」は
çamurが泥のことであるので、「はね」は「泥はね」という意味に解釈できる。この注をはじめ、この記事については、小島剛一氏からメールで御指導を頂き、書き直した部分が多い。

 左は有名なブルー・モスクを描いたオスマン・トルコ(第一次大戦後まで続いた)時代の切手。革命により文字もアラビア文字からローマ字にかわったが、字形をアラビア文字に似せているのが面白い。

 さきの江波戸氏の本によれば、この歌ははじめアメリカのポップ歌手であるアーサー・キットがブロードウェイのミュージカル「1952年のニュー・フェース」で歌ってヒットしたのだという。アメリカで流行ったものはすぐに日本にも入って、江利チエミが歌うことになったのだが、その歌詞はたしか、「ウスクダラはるばる訪ねてみたら、世にも不思議な噂の通り、町を歩いて驚いた、これでは男がかわいそう」というようなものであった。細部は記憶していないが、男がなぜかわいそうかというと、女性にもてすぎてかわいそうというような内容だったように思う。つまりアラビアン・ナイトのイメージなのである。元の歌詞を考えるなら、「これではトルコがかわいそう」だと思う。そういえば、日本では、ソープランドのことを「トルコ風呂」といっていた。そのころ、横浜のある「トルコ風呂」が「トルコ大使館」という看板を掲げ、本物のトルコ大使館からの抗議で改名したことがある。本場の「トルコ風呂」でもマッサージはあるが、出てくるのは筋骨隆々たるレスラーのような男たちで、思わず「イテテ」と悲鳴をあげるほど荒っぽいマッサージだという。

 ところでトルコには「ウスクダラ」という町はない。海峡をはさんでイスタンブールの対岸に「ユスキュダル」という町ならある。「r」に「a」がついて「ra」となっている。「a」は日本語の「へ」に似た機能を果たす語尾である。英語ならtoという前置詞が先に来るが、トルコ語の語順はこの点では日本語に似ている。ただ、tookに当たる「アルドゥ)」という動詞と「ヤームル(雨)」という名詞の間に「一つの」を意味するbirが入っているのは倒置であって、普通は動詞が最後に来る。kâtibimin setresi は「書記の着ている物」ということだが、kâtibまでが「書記」、imが「私 の」、inが「の」、setreが「着ている物」、siは前の語に誰々のという限定がついたとき、名詞の側でそれを受けて修飾関係を確認する語尾である。こういうと難しそうだが、全体的には、トルコ語の語順も文節にあたるものの作り方も日本語とよく似ている。

  a e o ö u ü i i
舌が前に出る - + - + - + - +
口を大きく開ける + + + + - - - -
唇を丸める - - + + + + - -

 5行目のkâtibimeは「書記に」の意味であり、最後のeは、Üsküdar'aのaと同じく、日本語の「に」にあたる接尾辞である。トルコ語の母音は8つあるが、3つの指標によって2×2×2=8となるという整然とした体系をしている。iについてはすでに説明したが、ö、üはそれぞれ唇を丸めながら「エ」「イ」という発音で、ドイツ語のウムラウトに近い。+は当てはまるということ、-は当てはまらないということとして、右の表を見ていただきたい。

 「ウスクダラ」という歌が流行ったころ、アラブ世界では誰でも知っている「ムスターファ」という歌も流行った。ところが日本では、たしかつぎのような歌詞で歌われていたと思う。「遠い昔のトルコの国の、悲しい恋の物語、純情可憐な優しい男、それが主人公ムスターファ」。なんと、アラブ世界の出来事がトルコの話になっているのである。アラブはもとから西アジアにいた民族であるが、トルコ民族は歴史上かなり新しい時代に東からこの地域にきた民族である。今日のトルコ共和国の住民の見かけはコーカソイド(白人種)的だが、これは古くから地元に住んでいたさまざまな由来の民族を同化した結果と考えられる。

 トルコというと今日のトルコ共和国に限定されるイメージがあるので、広範な地域にひろがるよく似た言語群の総称としては「トルコ」より「テュルク」を用いるのが普通である。テュルク系の民族の見かけはさまざまで、東方に住むカザフ人、キルギス人、ロシアのサハ共和国のヤクート人などは、モンゴロイド的であり、地域によっては両方の顔立ちが親族の中でさえ入り乱れているところもある。旧ソ連から独立した国の中にも、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンとテュルク系民族を主とする国が5つもあり、ロシアの中にも東シベリアのサハ共和国(半数がヤクート人)などテュルク系の自治共和国がたくさんある。中国に住むウイグル人もテュルク系であり、隋唐時代に中国をおびやかした「突厥」も「テュルク」を漢字で表現したものと考えられている。

 テュルク系の言語の分布はきわめて広いため、日常の会話が不自由なく通じるとは言えないが、言語学的には同系であり、市場での買い物などは何とかなることが多いという。これに対し、アラブ系の言語は、強いて言えばヨーロッパの言語と共通点が多く、トルコ語とは似ても似つかない。

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