漢字文化圏のベトナム

 私が大学生だったころ、テレビは連日ベトナム戦争の戦局を報道していた。そのころの記憶のある人は、かなりの数のベトナム人の名前を覚えているだろう。とくに「グエン」という姓が多かったことが印象に残っているはずである。朝鮮半島に「キム(金)」という姓が多いのはよく知られているが、ベトナムの「グエン」の多さはそれを上回る。日本ではあまり知られていないが、ベトナムは東南アジアで唯一の漢字文化圏の国である。漢字文化圏と言うことは、箸で食事をし、儒教の影響が強い文化であるということでもある。そして、ベトナムの固有名詞(人名、地名)が朝鮮同様漢語であるという点では、ベトナムは日本以上に漢字文化圏の国だということができる。

 ベトナム語の語彙には、日本語や朝鮮語と同じく、固有語をしのぐほどの漢語がある。「日本」が漢語であるのと同様、「ベトナム」という国名自体漢語であり、「越南」と書く。首都のハノイは「河内」、最大の都市「ホーチミン」は「胡志明」という人名に由来する。

 今日のベトナムの建国の父ホー・チミン(胡志明=筆名)の本名は必成(グエン・タット・タイン)といった。ベトナム人の姓は種類が少ないが、「阮(グエン)」姓は、中でも最も多い姓である。。これは、朝鮮同様、もともと種類の少ない中国姓の中から一種の好みでさらに少数の姓を選んだからである。「阮」姓は中国では竹林の七賢の代表格である阮籍などが有名だが、特に多い姓ではない。今はなき南ベトナム政権の正副大統領が、「グエン・バン・チュー」「グエン・カオ・キ」である時があったが、それぞれ「阮文紹」「阮高祺」と書けた。当時、国際会議に解放戦線の代表としてグエン・チ・ビンという女性がよく出ていたが、「阮氏平」と書く。その個人名は「ビン(平)」であって、女性の場合は姓と名の間に「氏」をはさむのが習慣である。これほどまでに、「グエン」姓が多いのは、かつての王室の姓だからである。ベトナムでも王朝れたが、「グエン」についで多い「い「からである。レ(黎)」姓もかつての王室の姓である。このほか、当時よく聞いた名前を漢字で書くと、「ゴ・ディン・ディエム」は「呉廷」、「ファン・バン・ドン」は「潘文同」、「ボー・グエン・ザップ」は「武元甲」となる。

弘文堂『世界の中の日本文字』橋本萬太郎・岡田英弘・川本邦衛・新田春夫・松本昭共著より
 Dに横線が入った字はベトナム語独得の子音を示す。圧倒的に補助記号の多いのは母音で、ベトナム語の豊富な母音や中国語の四声より多い六声を表している。


 ベトナムはフランスの植民地になってから漢字を全廃し、ベトナム語はさまざまな補助記号をつけた「クォック・グー(国語)」というローマ字表記(上にその例)で表記されるようになった。しかし、漢字文化圏から外れてからも、ベトナム語の中の漢語の比率の高さは日本語に勝るとも劣らない。とはいえ、ベトナム語は本来、中国語とは別系統の言語で、隣のカンボジアのクメール語と同様、アウストロアジア語族に分類される。アウストロアジア語族は語形の変化のない単音節語を基本とする点で中国語に似ているが、本来は声調言語ではない。しかし、ベトナム語は声調のないクメール語とは異なり、はっきりした声調言語である。しかも、中国語の声調が「四声」といって4種類であるのに対し、ベトナム語の声調は6種類もある。ベトナム語は、クメール語と同じアウストロアジア語族の言語を基層とし、それに中国語と同系のタイ系の言語がからまったハイブリッド言語と考える説が有力である。

弘文堂『世界の中の日本文字』橋本萬太郎・岡田英弘・川本邦衛・新田春夫・松本昭共著より
漢字とチュー・ノムを混在させた文章の実例。

 ここで、ベトナム語が漢字で書かれていたころ、ベトナムの固有語はどのように書かれていたのか、という疑問が生じる。漢語は当然漢字で書かれた。ベトナムでは漢字は「チュー・ニョー(字儒)」といった。これに対して固有語は「チュー・ノム(字喃)」というベトナム独自の文字で書かれた。「チュー・ノム」は漢字同様、音と意味とを兼ね備えた表語文字である。中国語と言語の性質のよく似たベトナム語の場合、固有語は仮名やハングルのような表音文字で示されるのではなく、ベトナム製の「漢字」で表記されたと考えればよい。「天」という漢語がそのまま漢字で書かれたのに対し、「そら」に当たるベトナム固有語は、「」というチュー・ノムで示された。「チュー・ノム」は、日本の「国字」つまり和製漢字のようなものだが、それよりはるかに種類が多い。固有語を表音文字ではなく一つ一つ別々の「チュー・ノム」で書き表そうとしたのもベトナム語が中国語に似ているためだが、そのため、文字の種類が日本や朝鮮よりずっと多くなった。チュー・ノムは漢字と混在させて用いられたが、正式な文章は、純漢文で書かれていた。

 しかし、植民地支配下で、ベトナムは急速に漢字文化圏から脱落した。フランス人宣教師の考案による簡易な「クォック・グー」が、植民地支配を効率的に行いたい植民地当局からも、それに抵抗する独立運動からも歓迎され、急速な普及をとげたためである。

 ところで、「チュー・ニョー」とは「儒者の文字」ということである。それを「字儒」と書くことからも分かるように、ベトナム語では修飾語が被修飾語のあとにくる。ベトナム戦争のとき、解放軍は「クォン・ジャイホン」と呼ばれた。これは漢語であるが、漢字で書くと「軍解放」となる。修飾語が被修飾語のあとに来る言語としてはフランス語が有名である。「モンブラン(白い山)ではモンが山、ブランが白、「ムーラン・ルージュ(赤い風車)」ではムーランが風車、ルージュが赤である。しかし、フランス語の場合、「グランプリ(大賞)」では逆にグランが大、プリが賞であって、これが必ずしも一貫していない。東南アジアの言語の場合は、ベトナム語に限らず、これがもっと一貫している(ベトナム語には若干の例外があるという教示を読者から頂いた)。カンボジアのクメール語では、寺をワット、都をアンコールといい、「アンコール・ワット」とは「寺の(多い)都」ということである。タイのバンコクを流れる川は「メナム・チャオプラヤ」というが、タイ語の文法が知られていなかったために、川を意味するメナムが川の名前と誤解され、日本では長く「メナム川」と呼ばれてきたが、これは当然「チャオプラヤ川」と呼ぶべきである。

 インドネシア語では人をオラン、森をウータンといい、「オラン・ウータン」とは「森の人」ということである。さらに、インドネシア語と同じアウストロネシア語族に属するハワイ語の例では、カメハメハ大王は幼いころ宮廷の権力争いのため母と引き離されて育てられた。そのため「メハメハ(孤独)」な「カ(人)」だということで、「カ・メハメハ」と呼ばれたのだという。中国の伝説上の皇帝には、黄帝がいるかと思えば帝尭もいるという具合に「帝」の字が上下している。これは、漢民族が今日の東南アジアの諸民族と同じ系統の民族を同化したことの表れと考えられる。

 ベトナムには、千年以上もの間、中国の直接支配を受けた歴史がある。しかし、固有の言語と文化伝統は失われることはなかった。ベトナム戦争のときには、大国アメリカとの比較で小国のイメージが強かったが、実は人口は約8千万人もあり、タイを千万人以上上回っている東南アジアの大国である。フランス、アメリカとの戦争の時代をようやく終え、まだまだ貧しいが、たいへんな潜在力を秘めた国だと見てよいだろう。


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