「青信号」はなぜ緑色?

 日本語には色を示す言葉が多い。ピンク一つとってみても、桜色、鴇色、鮭色などいろいろある。「鴇」は「とき」という鳥の名前であり、ラテン語の学名がNipponia nipponとつけられたほど、かつては日本にありふれた鳥であった。「ミドリ」「キン」など、脚輪の色で名づけられた最後の5羽も死に、今や中国産のときの繁殖が日本で図られている。

 昔は自然の染料を使ったので、古い色には、「紅梅(こうばい)色」などという、人工染料ではなかなか出せない色もあり、平安貴族に愛用されていた。さらにパステル・ピンクだのシュリンプ・ピンクなどという外来語まで加わる。色というものには敏感になれば切りがないほどのバラエティがある。しかし、大昔の日本語には色を示す言葉はたったの四つしかなかった。「あか」、「あお、」「しろ」、「くろ」、この四つである。三原色の一つである黄色ですら、奈良時代の文献では赤の一種とされている。どこの言語でも古くは色彩名が少なく、のちにさまざまな語を転用して色彩名を増やしてきたのだが、その例を日本語から見てみよう。

 今の日本語で「い」という語尾をともない形容詞として使われる色は、「赤い」「青い」「白い」「黒い」「黄色い」「茶色い」の六つだけである。このうち「茶色い」は語源が明確だが、「黄色」の「き」は語源がよく分かっていない。「木」の色だとする説や、くせのない「生(き)」の色だとする説が有力だが、漢語の「金(きん)」からきたという説もあるし、「くそ(糞)」の「く」と関連づけるひどい説まである。黄色は平安時代以降は、「あか」からはっきり区別されるようになった。

 「むらさき」は植物の名に由来する。その根からつくった染料の色が古代紫であるが、この色の物を示すときには、「むらさきい」とか「むらさきな」とはいわず、「むらさきの」としか言わない。このように、平安以降爆発的に増えた日本語の色の名の多くは、色以外の名詞から転用されたものとみてよい。平安貴族の色彩感覚はきわめて鋭敏であり、「襲色目(かさねいろめ)」といって、服を重ね着したときの配色にも気をつかった。上に着る服ほど丈を短くして、さまざまな色が順に見えるような着方である。「襲色目(かさねいろめ)」という言葉には服の表裏の配色の意味もあり、たとえば、裏が青(今の青緑に近い)で表が紅梅の場合は、「撫子(なでしこ)」と呼ばれ夏の配色とされるなど、配色の名称と季節への所属が決められていた。

 「あかし」という言葉は、「赤い」という意味である場合も、「明るい」という意味である場合もあった。「あ(明)ける」という言葉と「く(暮)れる」という言葉とは、「あかし」と「くらし」とから生まれた一対のものである。「黒い」と「暗い」のアクセントは異なるので、語源的に「黒」と「暗い」とを結びつけるのは難しいが、明暗という基準からいえば、黒の対語は白ではなく、赤だといっていい。日本でよく太陽が「赤い」とされるのは、「明るい」という意味との混線の影響が大きい。

 「あを」は、「しろ」「くろ」「あか(黄色を含む)」を除く色の総称だったと考えられる。青や緑ばかりでなく、灰色などまで「あを」に含まれていた。神主がつかうヌサのことをニギテともいうが、純白なヌサを「しろにぎて」といったのに対し、純白でない麻でつくったヌサを「あをにぎて」といったというから、「あか」に分類されそうな黄色っぽい色や茶色っぽい色まで「あを」に含めることもあったようである。

 宮中では正月の七日に「白馬節会」という行事が行われた。これで「あをうまのせちゑ」と読む。「あをうま」とは純然たる白馬ではなく、どちらかというと灰色がかった毛色の馬であって、もちろんブルーの馬ではない。しかし、白っぽい馬ではあるので、はじめは「青馬」と書かれていたのが「白馬」と書かれるようになったのだという。なお、現代の競走馬の毛色では、不思議なことに、青鹿毛は黒鹿毛よりも黒く、青毛は青鹿毛よりもさらに黒いらしい。

 日本語の色彩名が増えるにつれ、「あを」の範囲は狭められていったが、青と緑が区別されるようになったのは新しい。「青葉」とか「青信号」という語が今も残っているのもそのためである。青葉と青信号とは左の写真のとおりかなり色が違うが、より青に近い青信号もやはり緑といったほうが適当に思われる。こういった語に青に緑が含められていた時代の痕跡を感じることができるが、今日では日常的には「青」と「緑」ははっきり区別されていると思われるので、それを区別するためだけなら、「ブルー」とか「グリーン」といった外来語をわざわざ用いる必要は無い。

 「みどり」とは、本来は草木の若い芽のことであった。こんなもとの意味はもうとっくに忘れられているため、「みどりの黒髪」という表現が不思議な印象を与えてしまう。しかし、これは単に「若々しい黒髪」ということなのである。「みどりご」というのも、幼い子供を草木の若い芽にたとえた表現である。

 「あかの反対は何か」と聞くと、小学校低学年の子はよく「しろ」と答えるが、これには運動会の影響もあるだろう。高学年になるほど「あお」と答える子が多くなるという。これには、「あか」も「あお」も「あ」で始まるということも影響しているのかも知れない。

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