最近、千円未満の物を買っておつりを待っていると、「千円からお預かりします」とレジから言われる。なぜか違和感というより不快感を感じた。授業で「これのどこがおかしいか?」と聞くと、過半数の生徒が抵抗があるというので少し安心した。おかしいと思う感覚はあっても、それを論理的に説明するのは難しい。「どこがおかしい?」と聞いても、二、三人が手を挙げるだけである。その中でいちばん傑作だったのは次の答であった。「『から』というから向こうが出してくれるのかと思ったらこっち『から』出すんだから腹が立つ」。 自然な日本語では「千円(「を」もない方がベター)お預かりします」というべきであろう。「お預かりします」という以上、千円全部とられるわけでないことはすぐ分かるから、十分に礼を尽くした表現である。そのあとは「263円お返しします」とか何とか言えば十分である。そのあとに、「そこから」とつけるのは無駄であるし、まして「1000円から」とつけたらいやみである。「もっと金持っていそうなのに万札ぐらい出さんか」といわれている気がする。私の主観では、「千円からお預かりします」という表現は、「千円」といったあとに「を」という助詞をつけるのも変だという感覚があって、でも助詞がないのはおかしいと思った人が、「そこから」を先回りして言ったように思う。 私は「千円からお預かりします」という表現は、私の住む関西から生じた新方言かと思っていたのだが、けっこうこの表現への疑問を呈する文章を見かけるので、全国的現象であるらしい。私の主観では「ダイエー」系列のスーパーやコンビニで最初に聞いたような気がする。個人商店で聞くことはほとんどない。大手小売業界では、「これからお客様にこういうことにしよう」という提案が上司から出ているのかどうかは分からないが、ある程度こういう言い方が広まるとみんな右にならう体制になっているのではないだろうか? 「千円からお預かりします」という表現に私が最初に違和感を感じたのは二重敬語だと思ったからでもある。日本語では二重敬語は失礼にあたることになっており、「先生様」などがその例としてよく槍玉に挙げられる。 「千円からお預かりします」のようなそれまで聞いたこともないような表現がたちまち全国にひろがるのは、自営の人から始まるとは思えない。やはり組織の大きいスーパーなどから始まるのであろう。その中で若い従業員への言葉の指導として「千円からお預かりします」という表現が出てきたのということも考えられる。言葉というものは生き物であり、使う人が多くなればそれが正しいということになるのはどの言語でも同じだし、いわゆる「ら抜き言葉」などは別にかまわないと私は思っているのだが、「千円からお預かりします」という表現にはどうしても抵抗を感じてしまう。業界用語を押し付けられているような感じがする上、理屈にも合わない表現だからである。 私の子供のころにはなかった習慣で、最近もう一つ気になるのは、バスを降りるときにいちいち「ありがとうございました」という習慣である。「金払って乗ってるのになんでいちいちお礼言わなきゃいけないのか」という子供もいるが、私も賛成である。この始まりは、バス会社あたりが、客に対して率先して「ありがとうございます」と言うことを励行したためであろう。それだけ、その業界のサバイバル競争が激しいのかもしれない。でも、白髪の柔和な感じの運転手が中高生にまで率先して「ありがとうございました」というのを聞いていると、老人に先にこんなこと言わせていいのだろうかという気がしてくる。中高生の中にも礼儀正しい子がいて、言われる前に「ありがとうございました」と言おうとするのだが、むしろ痛々しい気がする。いつの間にこんなお互いに変に気を使わなければならない社会になったのだろうか、何かわざとらしい感じがする。 |